ブランド買取をもっとポジティブに。「なんぼや」が目指すWin-Winの道【前編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・SOU 嵜本晋輔社長 / 嵜本 晋輔

ブランド品の買取専門店「なんぼや」を展開するSOUが、2018年3月、東証マザーズに上場した。2011年の創業から、わずか6年のスピード成長だ。率いるのは、Jリーガーからビジネス界に転身した、嵜本晋輔(さきもと しんすけ)社長。リユース業界の革命児として注目される、36歳の嵜本社長が目指すものとは。

業界の慣習と「真逆」のお店を作った

「で、ここからなんぼ?」
関西では、買い物の時によくこんな会話が交わされます。価格を提示する店主と、値切ろうとするお客さん。ポンポンと漫才のようなやり取りをして、お互いに納得したら、商談成立。こんな風に明るくお金の交渉をできるのは、関西人特有の文化かもしれません。

私は2007年、大阪・難波にブランド品の買取専門店の1号店を出しました。そのときに考えたのが、ブランド品を鑑定し、ただ金額を伝えるだけでは楽しくない。訪れてくださったお客様とコミュニケーションを取り、気持ちよく品物をお売りいただける場所にしたい、ということ。そんな思いで、「なんぼや」という屋号をつけました。

実は、リユース(中古)品を扱う業界では、店員と顧客のコミュニケーションはあまり重視されて来ませんでした。というのも、バッグや宝飾品をお金に換える行為は、もともと質屋で行われていました。そのため、「お金を必要とする人が商品を持ち込み、現金に換えてもらう」という認識が強く、下手をすると顧客より店側の態度が大きく、立場が上のように接する風習が長い間続いてきたのです。

お客様は、さまざまな事情でお店を訪れます。コツコツ貯金して買った高級な時計を、社会人としてステップアップしたため、売って次の時計の購入資金にしようとする方。親から譲り受けたブランドのバッグを、お子さんができて教育費が必要になり、手放そうとする方――。みなさん、それぞれの思いを持って来られるのに、理由の説明もなく、一方的に金額だけを言われて満足できるでしょうか。

「なんぼや」では、こうした慣習を一切無視して、「お客様起点」のお店を作りました。来店されたお客様は、広くて明るい待合室から、個室に通されます。そこにいるのは、「コンシェルジュ」という名の鑑定士。

コンシェルジュは品物とお客様に向き合い、「いつ、どこで購入されたのか」「なぜお売りになるのか」など、お客様と品物の関わりを1つ1つ確かめていきます。その上で、リユース業界のトレンドや、値付けの仕組みをご説明し、納得いただける金額を探っていきます。

明るい雰囲気の「なんぼや」店舗

リユースというのは本来、使わなくなった品物を誰かの手に渡し、もう一度命を吹き込む「前向きな行為」です。ですからお客様にも、「売って良かった」と、晴れ晴れとした気持ちでお帰りいただきたい。

お客様が喜び、それをまた買い取った方が喜び、当社にも利益が出る。そうなれば、ブランド買取が誰にとってもWin-Winのビジネスになると思いませんか。

挫折、そして人生の「損切り」

私が業界の慣習をまったく気にしないのは、異分野からの参入で、先入観がなかったおかげだと思います。「異色の経歴」とよく言われますが、サッカー選手から経営者に転身した、珍しいパターンです。

大阪で育ち、子供のころからサッカーひとすじ。高校3年でガンバ大阪にスカウトされて入団し、プロになりました。現役時代は目の前のことに必死で、社会人としての常識や、ましてやビジネスのことなんて、知る由もありません。とにかくプロとして、試合で結果を出すことばかりを考えていました。

ガンバ大阪在籍時代の嵜本社長

ところが、結果は出ませんでした。能力不足、努力不足、運、いろんな要因があったと思います。いずれにせよ、プロの世界でサッカー選手として通用せず、22歳でガンバ大阪から戦力外通告を受けてしまいます。

その後、アマチュアに降格し、日本フットボールリーグ(JFL)の佐川急便大阪SCに在籍。ふだんは会社員として働き、時々、試合に出る生活が始まりました。初めてお茶汲みやトイレ掃除を経験するなど、華やかなJリーガー時代とは180度違う生活が待っていたのです。

人生で初めての挫折。子供のころから努力を重ね、厳しい競争を勝ち抜いてプロになりましたが、それは一瞬でした。残酷な現実を突きつけられ、自分の実力のなさが、ただ悔しかった。

「続ければいつか報われるだろう」という、希望的観測。「自分の実力はこんなもんじゃない」という、現実逃避。そんな甘い考えでごまかせば、気持ちは楽になったでしょう。でも私はそうしないで、できるだけ感情を廃し、客観的に状況を把握しようとしました。どんなにつらくても、自分をありのままに見ようと努めました。

その結果、負けを潔く認めるしかありませんでした。サッカー界にとどまって1%の可能性を追うより、活躍できる新しい場所を見つけるのが、正しい意思決定だと結論づけたのです。

幸い、父が家電製品や家具を扱うリサイクルショップを経営していて、2人の兄たちも事業を手伝っていました。いずれビジネスの世界に入るなら、早い方がいい。そう思い、サッカーをすっぱりやめて父のリサイクルショップを手伝うことにしました。

いま思うと、このときに感情に流されず、的確な判断――投資でいえば、正しい「損切り」ができたのが、自分の人生にプラスに働いたと思います。

リユース事業の面白さに目覚める

父の会社ではしばらく、倒産した飲食店の厨房器具や、家電の買取を手伝いました。リユースの品物は新品と違って、誰かに使われてきたストーリーがある。また、買い取った品物を、時流を読んでいかに売るかというところに、工夫のしがいがある。実際にやってみると、とても面白い仕事でした。自分の力でもっとやってみたい。段々、そう思うようになりました。

どうせやるなら、値崩れしやすい家電より、高単価なブランド品を扱うのがいい。ブランド品なら国内にとどまらず、アジアにも展開できるだろう。家電ほどかさばらないので、倉庫が小さくて済むのも魅力だ。リユース業界には接客など、課題を改善する余地も大いにある――。

仕事を手伝いながら考えたことを父に説明し、「チャンスをください」とお願いしました。こうして、2007年、大阪に「なんぼや」1号店を出すことになるのです。

開店して2〜3年は、私自身もコンシェルジュとして店に立ち、たくさんのお客様とお話しました。そこで接客重視の買取を実践してみて、あらためてわかったことがあります。思っていた以上に、お客様は「お金以外」の動機で買取店を選ぶのです。

お客様はコンシェルジュとの会話を通して、「この人なら信頼できる」「大切な品物を必要な人に届けてくれそう」と思えば、気持ちよく品物を手放します。査定金額が他社より低くても、「コンシェルジュが気に入ったから売る」とおっしゃるお客様が何人もいらして、驚きました。これは、うれしい発見でしたね。

関西で3店舗を展開して手応えを感じ、2009年に、東京・新宿に進出しました。関西ノリの屋号が東京で通用するか少し心配でしたが、同じようにお客様から受け入れていただき、ホッとしたのを覚えています。

こうやって徐々に自分の方針に対する確信を深め、2011年、「なんぼや」を中核とするSOUを起業。組織を整え、さらなる進化を目指すことになります。