私のマンガ家人生はお金のために始まった【前編】

  • お金を語るのはカッコいい・三田紀房のお金の話 / 三田 紀房

シリーズ600万部を売り上げたベストセラーマンガ『ドラゴン桜』をはじめ、数々のヒット作を生み出してきたマンガ家の三田紀房さん。マンガ家といえば「夢のある職業」というイメージを抱きがちですが、三田さんの話は至って現実的。売れっ子マンガ家が語る「お金と仕事の関係」とは?

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「カネが必要」と念じ続けた日々

私が初めてマンガを描いたのは、30歳。かなり遅いスタートです。それまでは平平凡凡な人生を送っていました。大学で政治経済を学び、卒業後は西武百貨店でサラリーマン生活を送った後、地元に戻って家業を継いだ。マンガ家になりたかったわけでも、マンガが好きだったわけですらありません。そんな男が、なぜマンガ家になったのか。

はっきり言いましょう。「お金のため」です。マンガを描き始めたころ、私は喉から手が出るくらいお金がほしかった。というのも、父が体調を崩し、兄と一緒に岩手に帰って手伝い始めた衣料品店が大赤字だったのです。ちょうどバブル経済が始まって地方の駅前商店街の活気がなくなり、個人商店はみんな大変な思いをしている時代でした。

ご多分に漏れず、うちの近所にも大手総合スーパーが進出し、お客さんを持っていかれました。父の死後はさらに客足が遠のき、残された借金の返済もままならない。次第に銀行への金利分の支払いすら滞り、キャッシュがないので商品の仕入れができなくなりました。たまにお客さんが来てくれても売るものがなく、言い訳をしてごまかさなくてはいけないことが、何よりもつらかったですね。

その後5~6年店を続けましたが、状況は一向に良くなりません。微々たる収入もすべて支払いに回し、常に手元にお金が残らない状態。とにかく「現金がほしい!」と念じるように願う日々でした。不思議なもので、人間、必要に迫られるといろんな手段を見つけるものですね。「カネが必要、カネが必要」と考えていたら、たまたま手に取ったマンガ誌で、新人賞募集の広告が目に飛び込んできました。大賞の賞金は100万円。必要な道具は紙とペンだけ。「これだ!」と思いました。

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マンガ家っていい商売だなあ

幸運にも、義姉が『JIN―仁―』などで有名な村上もとか先生の奥様と親友でした。まったく脈がなければ諦めようと思い、最初に描いた作品を村上先生に見ていただきました。すると案外あっさり、「いいね」と言ってもらえたのです。

こうして私は30歳で初めて、見よう見まねでマンガを描きました。講談社主催の「ちばてつや賞」に応募したところ、新人賞に入選。なんと賞金50万円が入ってきたのです。さらに原稿の掲載料として16万円が口座に振り込まれ、大喜び。「マンガ家っていい商売だなあ」と心底感じました。何とも安易な、マンガ家人生のスタートです(笑)。

実際、マンガ家になってみて、こんなにいい商売はないと思います。百貨店勤務、衣料品店の経営を経験してつくづく感じたのは、「SPA(製造小売)が強い」ということです。誰かが作ったモノを仕入れて売るのって、効率が悪い。まず仕入れのためにお金を払って、店頭に並べて苦労して売る。その中から経費を引いて利益が出るまでに時間がかかり、なかなか現金が入ってきません。マンガを描いて初めてもらった原稿料16万円の利益を家業で出そうと思ったら、洋服を100万円分売らなければいけませんでした。

その点、ファーストリテイリングが「ユニクロ」で実践したような、自分でモノを作って売るSPAはビジネスモデルとして強い。マンガ家は自分が生産者になれて、仕入れはゼロ。初期投資もほとんどかかりません。アシスタントを雇うようになると固定費がかかり、マネジメントも必要になりますが、それは定期連載を持つ売れっ子になってからの話。最初は1人で描いて現金をもらって、商売を回していけばいい。リスクが低い家業だと思います。

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何かを始めるとき「準備」はしないほうがいい

この話をすると、大体の人は「そんな風に簡単に言うけど、マンガ家って狭き門でしょう?」と言います。でも、考えてもみてください。マンガは全雑誌が毎月のように新人を募集しています。小説家やアイドル、スポーツ選手に比べて、間口はかなり広いと思います。それを「自分には無理」と言うのは、多くの人が「何かを始めるには準備が必要」と思い込んでいるからではないでしょうか。

 多くの人が、マンガ家になるには絵を勉強し、プロット作りやコマの使い方を学ぶためにアシスタントとして修行したり、専門学校に通ったりしなければいけないと考える。なんでもそうです。映画を作るにはシナリオライターの養成講座に行ってから。シェフになるには有名店のレシピを覚えてから……。

そうやってアマチュアとして「準備」をしているうちにプロから批判されたり、続けること自体がつらくなったりし、自分には才能がないと諦めてしまう。「いつかああなりたい」と憧れる気持ちを抱きながら、一歩踏み出せない人のなんと多いことでしょう。大事なのは「準備」より「本番」です。マンガ家になりたければたくさんマンガを描いて発表し、シェフになりたければ料理をしてお金をとって人に振る舞うこと。その中で失敗と成功を繰り返し、やり方を身に付けていくのであって、「本番」なくして成長はあり得ません。

 私はお金のために必死でマンガを描きました。今にして思えば、何の準備もなく、固定観念もなくマンガ家になれたのはかえって良かったのかもしれません。生活に困ってマンガ誌の新人賞募集の広告を見たとき、正直な感想は「これなら自分にも描ける」というものでした。よくテレビドラマを見ながら、「こんなつまらないドラマ、俺にだって作れるよ」と言う人がいますが、その通りです。クリエイターは特別な人間しかなれないと思っている人が多いですが、そんなことはありません。手塚治虫のような天才は業界でもほんの一握りで、あとは「やるかどうか」。実際、私はそうやってマンガ家になりました。

デビューしてから四半世紀。自分なりにさまざまな工夫をし、曲がりなりにもプロとして続けて来られたのは、私が家業での苦労を経て、マンガ家という職業をクールにとらえているからなのでしょう。

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