世界中の「生後18ヶ月までの赤ちゃん」に、愛を届けたい【後編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・ピジョン 山下茂社長 / 山下 茂

生後0〜18ヶ月の赤ちゃんを対象とする総合育児用品メーカー、ピジョン。哺乳器で国内70%超の圧倒的なシェアをもち、お母さんたちに信頼されている会社だ。同時に、経営の質にこだわる優良企業で、投資家からの人気も高い。同社を率いる山下茂社長に、ニッチ戦略や、リーダーとしての気づきを得た経験について語ってもらった。
経営理念の「愛」があるから、安心して利益を追求できる【前編】を読む

大手に勝つには「絞る」しかない

前編でもお話ししたように、当社の経営理念は「愛」。社是は「愛を生むのは愛のみ」で、育児用品メーカーとして赤ちゃんとお母さんに愛ある製品を届けようと、日々努力しています。

おかげさまで、哺乳器で国内70%以上のシェアをもつなどご支持いただいていますが、こうした状況をつくり出すのは容易ではありません。ターゲットを「生後0〜18ヶ月の赤ちゃん」に絞り、社員の力を結束させる必要があります。「このブランド力を活かして、3歳児にまで顧客層を広げてはどうか」という意見が出ても、同調してはいけないのです。

当社の商品開発は、赤ちゃんの「行動観察」を軸にしています。生後18ヶ月までの赤ちゃんがどのように発達し、どのような行動を見せ、どのようなプロセスで成長していくのか。その過程でお母さんたちにどんな課題があり、何を必要としているのか――。60年にわたって、そのことに研究開発を集中させてきました。


だからこそ、哺乳器の分野で、お母さんたちに感動される「突き抜けた品質」を実現できるのです。哺乳器の市場は、日本でもせいぜい30億円程度。大企業がそこに絞って勝負してくることはないので、当社が圧倒的に強いポジションを得ることができます。

年齢は広げませんが、同じ対象でわれわれの基礎研究や行動観察が活かせる分野であれば、商品群を広げる挑戦をしています。例えば、最近、ベビーカーに参入しました。2014年に発売した「Runfee(ランフィー)」は、段差での振動やつまずきを減らし、赤ちゃんへの衝撃を抑える点が特徴で、大変好評を得ています。ベビーカーの当社の国内シェアは、現在20%。これからまだまだ、伸ばしていくつもりですよ。

ピジョンが発売したベビーカー「ランフィー」

当社の場合、「絞ること」は、海外展開でも有利に働きます。というのも、18ヶ月を超えると、赤ちゃんに自我が芽生え、言葉をしゃべり出します。その地域の文化や習慣の影響を強く受けるようになり、育児用品のニーズに違いが出てくる。しかし、生後0〜18ヶ月までであれば、世界中どの地域でも赤ちゃんが求めるものは同じ。哺乳器をはじめ、大まかな機能は同じにしたまま、グローバル展開ができるのです。

われわれがイメージする市場は、大きな海ではなく、小さな池。その中で大きな魚に成長し、一番になる。そんな池を、海外に出てどんどん増やしていきたい。小さな池を足していけば、いつか大きな海にも近づけるはずです。

突然、タイ子会社の社長に

現在、海外売上比率は50%を超え、世界70以上の国・地域で当社の製品が愛用されています。「世界中の赤ちゃんとご家族に最も信頼される育児用品メーカー“Global Number One”」を会社のビジョンとし、私自身も、グローバルで通用する高い経営品質の実現を目指しています。

私が入社した1980年代は、グループの規模は今の10分の1以下で、海外の売上は全体の5%もありませんでした。そこから今に至るまで、海外の仕事にずいぶんと関わり、学ばせてもらいました。少し、振り返ってお話させてください。

そもそも私がピジョンに入社したのは、海外で仕事をしたかったからなんです。就職活動では、商社を志望していました。それがたまたま、ピジョンから内定をもらった友達から「海外部採用の辞退者が出た」と教えられ、受けてみたのがきっかけでした。

入社後は希望通り、海外営業の担当になりました。それから15年以上、海外畑ひとすじです。50ヵ国以上の国・地域に滞在し、やりたい仕事ができる充実感でいっぱいになりながら、働きました。

そのまま38歳まで働いて、突然、「タイ現地法人の社長をやってほしい」と上司から言われました。聞くと、タイに母乳パッドなどの消耗品を生産する工場を建てる予定がある。その会社の責任者になってほしいと言うのです。

もう、驚きですよね。ずっと海外営業しかして来なくて、マネジメントはおろか、会計、生産、品質管理といったこともまったくわからない。「とてもできません。私には無理です」と断りました。ところが、当時の仲田洋一社長に呼ばれて、タイ工場にかける夢を延々と語られたのです。情熱的な言葉を40分ほど聞いて、「わかりました。やらせていただきます」と言っちゃった。振り返ると、仕事に厳しい仲田があんなに優しかったことは、後にも先にそのときだけでした(笑)。

さあ、それからが大変です。工場を作るのは、設計のプロがいますから、割とスムーズにできました。生産ラインが動いて、良品率も上がって、工場はうまく回るようになった。ところが、作った製品を日本国内で販売する計画が立ち消えになり、売り先がなくなってしまったのです。

日に日に、在庫が溜まって倉庫に積まれていく。今でこそ「適正在庫」と口を酸っぱくして言っていますが、当時はもうその真逆で、計画性も何もあったものじゃない……。

自社製品は無理でも、せめてOEM(他社ブランドの製造委託)の注文を取って切り抜けようと、育児用品のメーカーに営業に行きました。しかしこれが、うまくいきません。1000件あたって、やっと3つ注文が取れるか、どうか。相手の感触が良くて「いけそうかな」と思って何度も通ったのに、あとちょっとのところで契約に至らないとか、悔しい思いをずいぶんしました。

そうこうするうちに、とうとう、倉庫に入りきらない在庫が廊下にはみ出し、天井まで積み上がるほどに増えてしまった。売り先がないから大赤字だし、「もうダメだ!」とギブアップしかけたところで、日本から一本の連絡が入りました。「国内の協力メーカーさんの機械が壊れた。修理に3ヶ月ほどかかるので、その間の生産をタイ工場に委託したい」。

首の皮一枚で、なんとかつながった。私って、運がいいんです(笑)。

「社員のために」という意識が芽生えた

3ヶ月の注文で食いつないで、その間も生産を任せてくれそうな会社をしらみつぶしに営業して回りました。小さな契約がポツポツと取れましたが、工場の稼働率はまだまだ低い。本社からは、「もう引き上げて帰ってきたら」と言われました。でも、できなかった。なぜなら、私のもとで働くタイの現地社員がいたからです。

それまでの仕事では、成績を上げるのは「自分のため」でした。しかし、タイでは目の前に社員がいて、その人たちの雇用を自分が預かっている。工場で作った商品が売れ、社員の働きが報われるいい会社になるか。倒産して、社員を路頭に迷わせるか。どちらになるかの責任は、自分の仕事にかかっているのです。

仕事をそんな風に捉えたことは、ありませんでした。雇われ社長とはいえ、「社員のために」という自覚が芽生えた瞬間です。そしてこれは、働くうえでの大きな刺激になりました。

地べたをはうような努力を続けて、3年。とうとう大きな取引をつかむ日がやってきました。相手は、「LANSINOH(ランシノ)」というアメリカの主婦が立ち上げた会社です。ランシノは乳首のケアクリームで米国内のシェア80%以上まで成長し、ウォルマートに認められて母乳関連の棚を任せられていました。その棚に置くために、ピジョンで作ったOEM商品をいくつか扱ってもらうことになったのです。

ウォルマートに出荷するのですから、これまでの注文とはケタが違います。中でも母乳パッドがよく売れて……。積み上がっていた在庫があっという間になくなり、生産ラインを増設するほどでした。営業努力が、ようやく日の目を見たのです。

その後もしばらく、取引は順調でした。しかし、2004年にランシノの経営が悪化し、投資銀行を通して買い手探しが始まりました。せっかく苦労して見つけた販売先を、みすみす失うのはつらすぎる。そう思った私は当時の経営陣に働きかけ、当社がランシノを買収することになりました。それからは、ランシノを子会社として母乳パッドやさく乳器、乳首ケアクリームなどを北米・ヨーロッパに売り、シェアトップになりました。

2000年以降は、円安の追い風を受けてピジョンの海外事業が大きく伸びた時期です。欧米に加えて、中国でも成功しました。富裕層のトップ20%にターゲットを絞り、病院・産院ルートで安心・安全、高品質な製品をアピールした結果、ピジョン・ブランドが人々から受け入れられたのです。いまは海外での売上のうち、中国が半分以上を占めています。

現在は、インドやロシア、インドネシアへも進出。海外展開のスピードをあげているところです。他にもアフリカ、中近東など、われわれが商品・サービスを展開できていない地域はまだまだあり、今後が楽しみです。

タイで在庫を積み上げて、売り先を見つけようともがいていたころ、こんな未来がやってくるとは思いもしませんでした。これからも、経営理念である「愛」を突き詰め、世界中に届けたい。社員1人1人が、「愛」のある仕事を遂行し、そのことで赤ちゃんとご家族が喜びに包まれ、社会に価値を生んでいく――。

そんな良循環をグローバルに広げられたら、すばらしいですね。