ニュートンさえも損していた! 繰り返される「バブル」の歴史

あなたは、経済の歴史をどれだけ知っていますか? 株式会社はいつごろできたのか。投資という行為はどうやって生まれたのか。紐解いてみると知らないことばかりです。学校では習わない「お金の歴史」について、投資家で、『金融の世界史』著者でもある板谷敏彦先生に聞きました。
「世界初の株式会社」ができた理由がグルメすぎるを読む

世界初のバブルは、チューリップから始まった?

――投資家にとって株価上昇はうれしいけれど、上がり方によっては「バブルではないか」という不安が出てきます。「投資の歴史」についてお話を伺う当シリーズ。今回は、人類がいまだ克服できない現象・「バブル」について伺います! そもそもバブルは、なぜ起きるのでしょうか?

バブルの原因は、過去の事例を見るとわかりやすいです。1987年2月、日本人はNTTの株式が新規上場した」というニュースに熱狂していました。ちょうど、1985年のプラザ合意以降、円高不況を受けて政府・日銀が実施した金利引き下げなどの景気刺激策が功を奏し、株価と地価が上昇を続けていました。NTTという超大型の株式公開は、絶好の投資機会。「買えば絶対に儲かる」という情報に個人投資家が飛びつき、いわゆる「財テクブーム」が始まります。株価と地価は上昇を続け、1991年にバブルが崩壊するまで、多くの人々が「買えば儲かる」という神話を信じ続けました。

このように、財政・金融政策で市場にお金がだぶつくことに加えて、「実体を見ずに投資をする人」が増えることが、バブルを生み出すきっかけとなるのです。

――バブルが崩壊すると、深刻な不景気が続いて人々が苦しみます。日本のバブルも、アメリカのリーマン・ショックも、崩壊後は立ち直るまでに長い時間がかかりました。それなのに、バブルはまた発生する。一体いつから、人類はバブルを繰り返しているのですか?

バブルについて詳しく書かれた最も古い文献は、1841年に発行された『狂気とバブル』です。スコットランドのジャーナリストであるチャールズ・マッケイは、この著書で自分が見聞きした「3大バブル」について言及しました。

マッケイがいう「3大バブル」とは、17世紀にオランダで起きた「チューリップバブル」、1715年にフランスで起きた「ミシシッピバブル」、1720年にイギリスで起きた「南海バブル」を指します。これを読むと、300年も昔から、人々の「狂った投機熱」が存在していたことがわかります。

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ちなみに、3大バブルのうちで「チューリップバブル」だけは、経済全体にさほど影響を与えなかったというのが定説です。名前のとおり、「チューリップの球根」が原因で起きたバブルで、東インド会社の成功でオランダが好景気に沸いていたころ、希少品種のチューリップの球根への投資がブームとなり、球根ひとつで家が買えるほどの異常な高値がつきました。しかし、ある日を境に価格が急落し、高値で球根を買った人々が大損をしたというのがあらましです。

まさにバブルの典型ですが、ドイツ銀行のエコノミストであるピーター・ガーバーは、後にこのバブルについてチューリップの価格も含めて詳細に見直し、「チューリップの球根の価格の推移は合理的であり、国の経済に大きな影響はなかった」と結論付けました。チューリップは取引所を通じて大規模に売り買いしていたわけではなく、居酒屋などの個々人のやりとりのなかで、自然と値上がりしていっただけなのです。社会現象としては面白いのですが、暴落後も景気は拡大していました。

怪しい会社だらけ! 世界初の株式ベンチャーブーム

――では、本格的なバブルは「ミシシッピバブル」と「南海バブル」が最初だったんですね。

そうですね。イギリスで起きた「南海バブル」とフランスで起きた「ミシシッピバブル」は別々のものとして語られることが多いですが、実は一連の流れでつながっています。

1715年、流通量に限度がある金貨や銀貨に替えて、紙幣を発行してお金を増やせば景気はずっと良くなると考えていた財政家のジョン・ローは、度重なる戦争によって財政難となったフランスに目を付け、政府に紙幣発行銀行を設立させて、納税には紙幣を使うことなどを強制して紙幣を流通させます。国民は金貨銀貨を政府の紙幣発行銀行に持ってきて紙幣と交換して納税するわけですから、政府の懐は傷まない一方で、紙幣は納税に使えるので値打ちが出て流通するようになりました。また、市中に出回る通貨の量も増えたので景気も少しよくなりました。

そこでローは、放漫財政によってジャンク化していた国債の償還を何とかしようと考えて、フランスがアメリカに持っていた植民地であるミシシッピ地方を開発する会社を作ります。

「ミシシッピ会社」と名付けられた会社は紙幣を発行している政府の銀行と合併し、著名な財政家であるローが新大陸での事業の将来性を喧伝したこともあり、一般市民に大変な人気となりました。うわさを聞きつけて、イギリスから3万人もの投資家が投機のためにパリを訪れたそうです。

その人気を利用して、ローは国債保有者に、紙幣で国債を買い取るから、その紙幣で「ミシシッピ会社」の株を買うように提案します。ちょっと前なら、国債の償還には金貨が必要でしたが、投資家はもはや紙きれの紙幣を受け取ったのです。こうして国債から「ミシシッピ会社」株への転換がすすみ、政府債務は劇的に減少しました。

ローの計画は成功し、ミシシッピ会社の株価は急上昇。国債の回収も順調に進みましたが、その後、新大陸の開発という事業の実体が何もないペーパーカンパニーであることがわかると、今度は一転して株価が大暴落。そんな銀行が発行する紙幣も一緒に信用を失い、一転してフランス経済は窮地に陥りました。投資家はやっぱり価値の変わらない金貨銀貨が一番安全だと考えるようになり、その後、フランスでは国債と紙幣と銀行が信用されなくなりました。

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同じく1720年、イギリスも戦争によって膨れた債務を解消するために「南海会社」を作りました。最盛期のミシシッピ会社を模倣し、南海会社も国債(年金債)を全て同社が引き受けることを発表すると、やはり株価は急上昇。皮肉にもそのタイミングでミシシッピ会社の株は大暴落をしていたので、フランスからイギリスへ資金シフトが起きていたことも株価高騰の後押しとなりました。おかげで南海会社は大繁盛し、イギリスには株式ブームが訪れます。

この株式ブームを受けて、イギリスにたくさんの有限会社が誕生しました。南海会社の株式の急騰を見て投資家も冷静な判断ができなくなっていたのか、「会社さえ作れば、中身が何であれ儲かる」という状況だったのです。

後にこうした会社を規制する法律に、100社余りのこうした中身の無い会社のリストが掲載されていますが、中には「きっと儲かるが、それが何であるのかは誰にもわからない会社」などという、資金集めだけが目当てのいかがわしい会社がいくつも設立されました。中には「キリスト教徒にはケガが軽くすむように丸い弾丸を、イスラム教徒には残虐な四角い弾丸を発射する機関銃」を製造する会社もありました。もちろん実現していませんが当時流行したトランプに皮肉交じりに描かれています。

泡沫会社の例(当時の文献より)

・頭髪を取引する会社
・大きな利点があるが、それが何なのかはだれにもわからない事業を展開する会社
・全国どこででも葬儀を取り仕切る会社
・永久に運動を続ける車輪を取り扱う会社
・子どもの財産を保証し、殖やす会社
・ビーバーの毛皮を輸入する会社
・海賊に襲われないような船を購入し、艤装する会社
・水銀を可鍛性鉄に変成させる会社   ――など

~『狂気とバブル』(チャールズ・マッケイ著・パンローリング刊)より一部抜粋して作成

――確かに、怪しい会社がたくさんありますね(笑)。でもよく考えると、日本で2000年代にITバブルが起きたとき、ITに全く関係なさそうな企業も「IT企業」を名乗っていました。

いつの時代も、人間がやることはさほど変わらないようです。怪しい会社に疑いもせず投資してしまうほど、当時の人たちはかなり舞い上がっていたのでしょうね。南海バブルでは、「万有引力」を発見したニュートンでさえも2万ポンドの損失を出したと言われています。

――ニュートンまで投資していたんですか!

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今になって過去を振り返ると滑稽に思えますが、当事者は確信を持って投資をしているんです。2年経って、3年経ってもまだ儲かっているから、その翌年に大損するなんて誰も思わない。渦中にいた人はそんな思い込みを信じて投資していたのでしょう。今も昔も、都合のいい未来を信じたがる人間の習性は同じです。素晴らしい知性を持つニュートンが失敗したくらいですから、人類が繰り返してきたバブルを止めるのは、そう簡単ではないのかもしれません。

イギリスで「会社の歴史」が停滞した理由

南海バブルの崩壊後、イギリスでは株式に対する根強い不信感が生まれました。個人投資家は国債保有にくら替えし、株式投資が激減。さらに、バブル崩壊前に作られていた「泡沫会社設立禁止法(The Bubble Act)」が拍車をかけます。バブルの名がつくこの法律は、起業ブームによって自社の利益が減ることを恐れた南海会社の経営陣が、会社設立の条件を厳しくするために作ったものです。株式への不信とこの法律によって、イギリスでは1850年代の産業革命まで、会社制度の発達が大きく遅れてしまいます。

景気が低迷するなど、経済へのダメージは大きかったようですが、唯一良かったのはイギリス人が投資をやめなかったこと。株式を信じなくなっても、国債への投資はやめず、かえって取引が活発になりました。国債が強い国は、戦争などのために国がお金を必要としたとき、すぐに資金が集まります。国力が弱いイギリスがナポレオン戦争でフランスに勝てた理由は、フランスより資金力があったからだと言われています。

――フランスもイギリスと同じようにバブルが崩壊したはずなのに、なぜ資金力に差がついたのですか?

フランスの場合、ミシシッピ会社が銀行機能まで兼務していたため、バブル崩壊後に人々は、株式投資だけでなく銀行取引自体にも疑いの目を向けるようになりました。もちろん国債の取引も鈍化したため、イギリスのようにスムーズに資金を集めることができなくなったのです。

この話は、現在の日本に対する警鐘でもあります。

本来、モノの価格というのは、買ったり売ったりすることで適切な値段が付くようにできています。「高すぎると買わない」ですし、「安すぎると利益が出ない」ですから、売買を通して需要のバランスに合ったちょうどいい価格設定に自然と近づいていくわけですね。
これを市場の「価格発見能力」と言いますが、取引が活性化しないと、その機能は停止してしまいます。現在の日本のように、日銀がたくさんの国債やETF(株式)を買って市場の参加者を減らしてしまうことは、経済を低迷させる原因のひとつになりかねません。

――なるほど。市場参加者が自由に売り買いできる環境こそが、国の経済力を強くするんですね。

歴史を辿ってみても、市場参加者が増えることが大切なのは明白です。参加者が増えることで流動性が増して、国が資金を集めたいときにパっと集まるとか、株や国債を売りたいときにいつでも換金できるといった環境が整います。市場参加者が大勢いて、流動的に取引が行われる環境は、国力を維持するうえで欠かせないのです。

――バブルの歴史を紐解くことで、市場の活性化が国力につながる話まで知ることができました。ありがとうございました!