「シップスらしさ」は言葉にした瞬間にうそになる。【前編】

  • お金を語るのはカッコいい・生き様とお金 / 三浦 義哲

紺色のロゴが印象的なセレクトショップ、「シップス(SHIPS)」。この大手ブランドは、戦後、米軍放出品を売る1坪半の店から始まっていた――。独学で経営を学び、シップスを成長させた三浦義哲社長が、創業の歴史とブランドへの思いを語ってくれた。

気づいたらブームを作っていた

――(取材した応接室にて)文学全集がずらっと並んでいますね。経営者のお部屋っぽくない雰囲気です。

置くとこがないから、飾ってあるの(笑)。もともと文学が好きで、国語の先生になりたくてね。1964年、ちょうど東京オリンピックの年に早稲田の文学部を出て、7年間教師をやりました。

ファッションは嫌いではなかったけれど、まさかその道に進むとは思っていなかった。きっかけは、母親です。戦後、大分から上京した母は食うに困り、東京・上野のアメ横に「三浦商店」という1坪半ほどの店を開きました。扱ったのは、PX(アメリカ軍の基地内売店)の放出物資や横流れ品。日本が豊かになる前の時代、アメリカの物資は、日本人にとって羨望の的だったのです。

1970年、母が大分に帰ることになり、私に店を任せたいと言いました。私はすでに教師の仕事を得ていたし、「こんな小さな店を男子一生の仕事にするわけにはいかない」という意地もあったから、なかなかふんぎりがつかなかった。しかし、店を手伝ううちにやめられなくなってしまって……。

いよいよ継ぐことになったとき、「どうせやるなら、5年後に自分の店を出そう」と心に誓いました。「このまま、小さな店では終わらない」と自分に言い聞かせて、アメ横で頑張ることにしたのです。

しかし、まだ30歳。教師の経験しかない若者です。商売は右も左もわからない。経営のことは独学で勉強しましたが、やってみると、勘定合って銭足らず。いつもお金が足りず、本当にきつかった。ファッションについても素人でしたし、なかなか手応えが得られなくって。

幸い、いい仲間たちと出会えたのが良かった。私は「5年後」を見据えていたので、最初から1人でやらず、洋服が好きな若い人を集めてきたのです。ファッションについては、仲間たちが随分と教えてくれました。みんなの意見を聞きながら、人気があったジーンズなどの衣服にアイテムをしぼり、アメリカからの直輸入を始めて……。輸入を手伝ってくれる方に出会えたのもラッキーでしたね。

とにかく、いまと違って物がない時代でしたから。いい物を仕入れれば売れるのですが、それが大変でした。当時流行っていたアイビー・スタイル(アメリカの名門私立大の学生たちのファッション)の品をそろえるために、アメリカの大学生協に行ってスウェットを買ったり、なんでもやりましたよ。そのうち、店に置いていたコンバースの靴やリーバイスのジーンズが流行って、メイン商品に育っていった。時代を先取りしたことになるんでしょうけど、当時はただ、必死だっただけ。

店名を「ミウラ」とし、母から継いだ店を発展させた

気がついたら、たった1坪半の店で年商1億4千万〜5千万円を売り上げていました。店の中は100%アメリカ直輸入で、扱うアイテム数も多かった。似たような店が他になかったから、話題になったんですね。一番大きかったのは、口コミ。ファッションを愛する人たちが、「ここに行けばいい物が手に入る」と広めてくれたんです。

そのおかげで売上が増え、5年後に店を出す目標が実現しました。1975年、渋谷に「ミウラ&サンズ(MIURA & SONS)」をオープン。ちょうどアメリカがウエスタン・ブームだったので、フレアのジーンズやデニムのワークシャツ、チェックのネルシャツなんかを置いてね。そのときも、後になって「渋カジ」って言葉が流行って、うちがその先駆けみたいに言われました。

当時、「MIURA & SONS」は若者にとって伝説的な店だった

ミウラ&サンズには全国からお客さんが来てくださった。いまでも、いろんな方から「昔、渋谷の店で買いました」と懐かしそうに言われますよ。ありがたいことです。

言葉でなく感覚で、若い人に伝える

渋谷に店を出すときに組織を法人化して、さらに2年後、銀座に出店しました。渋谷はアメリカ西海岸のイメージで、かなりカジュアル。それだけじゃなく、もうちょっと大人の格好もしてほしいなと思いまして。渋谷を卒業した年齢の人も買いに来てくれるように、銀座はかっちりしたスーツやジャケットも扱う、東海岸のトラディショナルを意識した店にしました。「シップス(SHIPS)」の名前を使ったのは、この店からですね。

そのころからアメリカのアイテムだけでは足りなくなり、ヨーロッパから仕入れたり、日本で自社製品を作ったりしながら、シップスを成長させていきました。その過程で、普遍的な良さのあるスタンダードに、旬のスタイルを取り入れる「STYLISH STANDARD」というコンセプトができていったのです。

現在のSHIPS 銀座店

――創業から40年以上たち、いまや従業員は1200名を超え、系列のブランドも増えています。その中で、三浦社長が考える“シップスらしさ”を、どう貫いていきますか。

貫くも、何も……。扱っている商品すべてが、そのままシップスらしさですから。

いまも私は、月に1回は商品部に行って、どんな洋服を仕入れるのかを見て、アドバイスしています。最終ジャッジには、私が必死に作ってきたシップスの原点が入っている。つまり、私自身のライフストーリーが反映されているのです。これが、シップスの命じゃないですか。

――「シップスらしさ」というのを、もうちょっと具体的に言葉にすることはできますか。

(少し考える)
目の前に商品があれば、これだと言えます。でもそれは個別の感覚であって、すべてについて「これ」という言葉はない。そんなに機械的なものじゃありません。

マニュアルのように言語化して、誰でもできるようになるなら、社員教育は必要ありません。ブランドというのは生き物で、いい加減なことをするとあっという間におかしくなる。だから私が「シップスらしい」と思う感覚を、現場でしっかりと社員に見せて、覚えてもらうことが必要なのです。

これが、当社が店をフランチャイズにしない理由です。「シップスらしさ」を教育した社員だけが、店舗を回す。私はここにこだわっていて、いま教えている若い人たちは、うまくその感覚を引き継いでくれていると思いますよ。

私は物がない時代に、洋服屋になった。かっこいいと思える物、新しいおしゃれを必死になって店にそろえた。そのとき培った感覚こそが「シップスらしさ」であり、私が伝えていきたいことです。