初任給18万円でやりくりしていたときの感覚がいまでもある【前編】

  • お金を語るのはカッコいい・古田敦也さんに聞くお金と野球と仕事の話 / 古田 敦也

現役時代はヤクルトスワローズ一筋で、最終的には選手兼監督を務めた伝説的な野球選手である古田敦也さん。眼鏡をかけた知的なキャッチャーの活躍は、野球選手に対する印象を変えました。そんな古田さんは大学生活や会社員としてのご経験もあり、現在も野球解説を中心にさまざまなフィールドでご活躍されています。今回は古田さんに、ずばり投資について聞いてみました。「自分のお金については、勉強して、自分で管理しないといけない」と語る古田さんの金銭感覚とは。

ぶらっと銀行の窓口に行って、投資を始めた

−−古田さんは元々は野球がご専門でいらっしゃいますが、じつはお金の運用もしっかりされているとおうかがいしました。今回は投資情報メディアであるFROGGYらしく、お金という切り口でもお話をうかがっていきます。いつ頃から投資を始められたのでしょうか。

1997年あたりからですね。それまでは預金しかしていませんでした。1980年代後半から1990年代初頭は、銀行に預けているだけで、年間数%の利息がつきましたよね。1億円あれば、将来は利子で暮らせると言われていた時代です。

でも1995年くらいから、金利がほとんどつかなくなって、預けるだけじゃ価値が目減りしていくようになりました。そこで僕も何かしなきゃと思い、青山にできた外資系銀行の支店にふらっと入ったんです。

−−普通のお客さんとして、ですか?

そうそう。普通に整理券とって、「◯番の方どうぞ」と言われて窓口に行きました(笑)。窓口の担当の方はびっくりしてましたけどね。

−−お知り合いのつてをたどれば、ファンドマネージャーなど、金融関係の人が何人も見つかりそうですが……。

そう、みんなまず人を紹介してもらおうとしますよね。でも、知り合いのつながりで探すのはめんどうですし、人に頼んだら、その人にまず挨拶して……といくつかステップを踏まないといけないでしょう。だったら、自分の足で店舗に行っちゃったほうが早いなと。

それで、まず、「いくらもってきたらいいですか?」と聞きました。顧客として扱ってもらうための金額相場がわからなかったんですよ。何も知らないから、勉強を兼ねてイチから聞いてみようと。けっきょく言われた額の倍を振り込んで、投資信託を始めました。

−−株式投資ではなかったんですね。

銀行だったので、株は取り扱ってなかったんです。あと、当時はまだ現役だったので、個別の企業の株に手を出したくはないなと思っていて。

−−どういうことでしょう?

自分の性格からして、株をやり始めたら値動きがすごく気になるだろうなと思ったんです。でも株価を気にしながら野球したくないじゃないですか(笑)。今みたいに、スマホで確認できるならまだしも、当時は調べないと株価はわからないし。

投資信託なら頻繁に売り買いしなくていいし、基本的にファンドマネージャーにお任せできるのでいいなと思いました。もちろん、ずっと放置していたらダメですけど。

−−その投資信託は、結果的に成功しましたか?

今につながるという意味では、そうですね。そもそも、「今ある資産を倍にしてやろう!」という野心をもって始めたわけではないんですよ(笑)。投資もアクティブに運用するものは一部と決めていますし、減らなかったらいいな、というくらいの感覚です。

それよりも、投資について詳しくなれたことが一番の成果でしたね。これは、やってみないとわからなかったと思います。そのあたりから、日経新聞や雑誌『FACTA』なども定期的に読み始めました。内容をすぐ運用に反映させることはないですが、野球やスポーツとは違う分野の読み物として楽しんでいます。未知の分野について知るのは、おもしろいですよね。

一般的な金銭感覚を育ててくれた、トヨタ社員時代

−−プロ野球選手は、契約金があったり、年俸制で通常のビジネスマンとは1、2ケタ違うお金が入ってきたりする職業です。お金の使い方を間違えて、引退後に困窮する人もいると聞きます。古田さんは、どうやってバランス感覚を保つことができたんでしょうか?

やはり、社会人を2年間やっていたのが大きいと思います。お金についてはコンサバティブな考えが身についていたんです。だって、社会人時代の初任給は18万円で、社会保険などいろいろ引いたら手取り13万円だったんですよ。それで1ヵ月どうやりくりするか考えなければいけなかった。その時の感覚がいまだにありますね。

−−一般的な金銭感覚がそこで身についたんですね。社会人のときは、どういうお仕事をされていたんですか?

トヨタ自動車では、工場の事務方の仕事をしていました。実際やっていたのは事務ですが、自動車ができる工程を知れたことは、すごくためになりましたね。当時の工場では、鉄板1枚から2キロくらいのラインを経て、1台の車ができる過程を見ることができたんです。

1つの製品を作るのには、多くの人間が関わっていて、その人達の誰が欠けても車はできあがらない。できあがったあとは、販売会社の人が売ってくれないと、お客様の手元には届かない。会社も利益が上がらない。社会の縮図というと大げさですが、経済の成り立ちみたいなものを肌で感じることができました。

車も家も、ほどほどでいいと思っていた

−−古田さんは、いわゆるスポーツ選手という感じがしない、現役当時からビジネスマンのような雰囲気を持ち合わせている稀有な存在でした。会社員としての経験から、お金を含めたバランス感覚が身についたのかもしれませんね。

僕はプロになったのが25歳になる年だったんですよ。これはプロ野球選手としてはだいぶ遅いほうです。高校卒業してすぐ、18歳くらいでプロになっていたら、野球界にどっぷり浸かっていたかもしれません。

しかも20代半ばでプロになったということは、現役生活が短いということです。けっきょく42歳まで、つまり17年くらいやりましたが、入団当時は長くて10年かなと思っていました。その10年で一生分稼がないと、という気持ちはありましたね。しかも、数年で肩を故障したり、クビになったりする可能性もある。年俸が高いからといって、安心はできませんでした。

−−そうすると、収入を一気に使うわけにはいきませんね。例えば、何千万もする海外のスポーツカーを買ったりとか。

スポーツカーを買いたいという欲はありませんでしたね。車はトヨタと決めていたので(笑)。辞めてもトヨタのことが好きだったんです。もちろん安全性とか、いろいろ考えて、トヨタの中では高級なほうの車に乗るようにしていましたが、それでも1千万円もしません。

あと人生の中での大きな支出としては、家でしょうか。結婚したタイミングで家は買いましたが、豪邸がほしいというのもありませんでした。

−−結婚してからご夫婦でのお金の管理はどうされていますか?

うちは仕事の収入もそれぞれ別々に管理しています。今も、妻は僕がどのくらいの資産を持っているか知らないんじゃないかな。どうしても知りたかったら、送付されてくる僕の口座の運用結果の通知をこっそり全部見て金額を足せばわかりますけど、そこまでしていないはずです(笑)。光熱費や食費などの生活費は僕が払っています。たぶん、不満はないんじゃないかと思いますよ(笑)。

−−野球選手同士で、資産の運用について話すことはありますか?

聞かれたら答えます。そして、僕は投資などをやってそうな人の筆頭ですから、よく聞かれます(笑)。多額の収入がある野球選手でも、銀行に預けっぱなしだったり、親が管理しているという場合もあります。

それは個人の自由なんですけど、僕は自分の金は自分で管理せなあかん、と強く思っていました。

別に、運用して儲けなくてもいいんです。でも、管理はしないといけない。それなら、やはり資産運用に詳しくならないといけないですよね。自分のお金のことは、自分が一番知っていないと。だから、日々勉強ですね。

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