工場勤務も、選手兼監督も、さまざまな経験が自分の幅を広げてくれた【後編】

  • お金を語るのはカッコいい・古田敦也さんに聞くお金と野球と仕事の話 / 古田 敦也

野球選手を引退した後は、野球解説者やタレント、野球の指導者など多岐にわたる活躍をされている古田敦也さん。いまだに現場復帰を望む声も多く、ファンからの熱い支持を集め続けています。そんな古田さんは、42歳で選手兼監督を打診されたとき、そして引退を決意したとき、何を考えていたのでしょうか。これからの時代の生き方について、うかがいました。
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プレイングマネージャーは企業にはごろごろいる。だから自分もできると思った

−−古田さんは、大学を卒業したあと一旦就職されましたが、安定した職業に留まりませんでした。諦めずにプロ野球選手になる夢を叶えられたわけですが、野球選手という職業のどこに魅力を感じていましたか。

仮にもし、プロ野球選手がダメでも、当時は景気も良い時代でしたし、自分も体には自信があったし、何をやっても食べていけるだろうと思っていました。大学でさらに野球にのめり込んでみると、代表選手で選抜されることが多くなって、全国レベルを知るようになると、思っていた以上に自分でもやれるんじゃないかと自信も出てきました。

プロ野球選手になるのは、子どもの頃からの夢だったんです。中学、高校と野球を続ければ続けるほど、野球がうまくなりたいという気持ちは強くなっていきました。

あと、実際に野球選手になると、野球がうまくなることですべての欲が満たされるなと思ったんです。

−−すべての欲、ですか。

若いうちって、「お金持ちになりたい」「有名になりたい」「モテたい」とか、そういう欲求がありますよね。それらの欲が、野球選手として野球がうまくなればなるほど、満たされていくと感じたんです。学生で野球をやっていた頃の自分からは、考えられないようなすごいことが起こる。それは、やっぱり励みになりますよね。

ここで大事なのは、先にあるのは野球だということ。「お金持ちになりたいから野球をやる」、ではダメなんです。野球がうまくなった結果として、お金が入ってくる。この順番を間違えてはいけません。だから、20代の時は野球のトレーニングを必死でやって、野球中心の生活を送っていました。自分のことでいっぱいいっぱいでしたね。最初のスタートはそんな「欲」だったわけですが、それも年齢を重ねていくうちに変わっていきます。

30代になると、今度は社会的な責任が出てきます。それに伴い、チームのため、地域のために考えることが増えてきました。

−−そして、40歳の時に監督をやらないか、というオファーを受けられた。野球の選手兼任監督は、古田さんが就任されるまで、29年間現れませんでした。これは選手と監督の両立が、いかに難しいことかを表していると思うのですが、引き受けられるときに迷いはなかったのでしょうか。

できるかできないかで考えたら、できるだろうなと思いました。というのも、世の中の40歳くらいのビジネスマンって、みんなプレイングマネージャーですよね。自分も前線に立って、なおかつチームとして成果を上げるためにマネジメントをする、という働き方をしている人が大多数だと思うんです。だから、野球だけが特別だとは思いませんでした。

−−企業のプレイングマネージャーと考えたら、たしかにそうですね。

じゃあ今度は、やるかやらないか、という話です。そうしたら、ファンからも「兼任監督を見てみたい」という声をたくさんいただいたので、断る理由はないなと思いました。まあ、なかなか大変でしたけどね(笑)。

引退の3日後、ひとりでニューヨークに行った

−−監督就任の2年後、引退を決意されます。セカンドキャリアについては、どう考えられていたのでしょうか。

野球をやっている人は、みんなどこかで野球をやめなければいけないんですよね。それが、中学卒業なのか、高校卒業なのか、大学卒業なのか、はたまたプロに入って2年目、5年目、10年目……人によってタイミングはさまざまですが、かならずどこかでやめるときが来る。僕の場合は、42歳までプロ野球選手でいられましたが、それはめずらしいことなんです。

僕は監督までやったので、ぼんやりと、自分の経験を人に伝える仕事になるんだろうなと思っていました。それはメディアの解説者という道もあるだろうし、指導者の道もあるかなと。

−−テレビ局のスポーツキャスターになったり、プロ野球チームや大学のコーチになったり、ということでしょうか。

そういう道もあったと思います。でも僕は、どこかの専属にはなりたくなかったんですよ。とことん打ち込んだ野球選手を終えた時、今度はもっと広い世界を見たかった。できるだけ、野球以外のこともできる環境をつくりたかったんです。

僕ね、2007年の秋に引退して、ロッカーに置いていた荷物などを片付けた3日後に、ひとりでニューヨークに行ったんです。

−−そうだったんですか! それはまた、なぜでしょうか?

なんか、ニューヨークは刺激的な街だってみんなが言ってたんで(笑)。でも僕は行ったことがないから、どういうことか、わからなかったんですよね。それがずっと頭にあったんでしょう。引退して1ヵ月くらい時間ができたから、「そうだ、ニューヨーク行こう」と思い立ったんです。誰とも予定が合わなかったというのもありましたが、1人で行きました。

−−ニューヨークでは何をされていたんですか?

しばらく生活してみようと思ったんです。昼間はセントラルパークを走っていました。1周10キロくらいなんですよ。疲れたらベンチに座って本を読んだりして。そのとき、「なんか俺いま、かっこええやん」と思ったりしてましたね(笑)。

夜は舞台を見たり、観光地に行ったり、ニューヨークに住んでいる知人と食事をしたりもしました。でも正直、どこが刺激的なのかはよくわかりませんでしたね。10日くらいいたら、自分なりに肌で「ニューヨークってこんなところ」というのを感じられたので、それで満足して帰りました。

今はもう、選択と集中の時代ではない。

−−思い立ったらぱっと動く行動力があるんですね。

好奇心は強いかもしれません。昔から、いろいろなことをやりたいタイプだったんです。だから、プロ野球選手としては少し異色の経験を積んできたところはあるかもしれませんね。

−−選手会長や、選手兼任監督をされたり、というのもそうですよね。

もっと遡れば、普通の大学生だったこともあるし、工場で働いた経験もある。プロ野球選手になってからは、野村監督の下で毎日怒られていた時期があり、自分が監督として人をまとめる立場にも立たせてもらいました。

だから会社で働く方々の、上司に提案が通らない、もしくは若い部下の気持ちがわからないといった悩みは、両方わかるような気がします。

−−一般社会の話をすると、ひとつのことに集中したらいいのか、いろんなことにチャレンジしたらいいのか、悩んでいる人が多い時代だと思います。

僕自身は、ヤクルトスワローズというチームの生え抜きで、引退するまで18年間ずっと同じところにいました。だから、一つのことをやりきることの大切さはもちろん理解しているつもりです。

でも、これからの時代は一つのことだけやる、ということがそんなにプラスになるかわからないなと思っています。

−−新卒で入った会社に定年までいるとは限らない時代ですよね。

専門性はもちろん今でも大事だと思います。でも、それだけではダメなんじゃないかなと。少し前まで「選択と集中」とよく言われていましたが、もはやそういう時代ではないと思います。むしろ大事なのは、多様性ではないでしょうか。

僕がいま、いろいろなところに呼んでいただけるのは、野球選手としてもさまざまな立場の経験をしたし、引退してからも、ゴルフ、トライアスロン、将棋など興味のあることは力を入れてやってきたからだと思うんです。このインタビューだって、投資をやっていなかったらお声がかからなかったでしょう。多様性が、次の可能性に繋がっていくのではないでしょうか。現在の仕事についても、「力を貸して」ということでオファーされた仕事はお受けするというスタンスです。それはずっと変わっていません。

−−しかもどれも、高いレベルまでやっていらっしゃるのがすごいです。

いやいや、そんなことないですよ。でも、それぞれについても、かじる程度じゃなくて、少し詳しくなる位のめり込むことも必要かもしれませんね。一つの分野に詳しくなると、それは自分という人間の幅を広げてくれます。興味を持ったことはとりあえずやってみて、調べて、詳しくなると、より楽しくなりますよ。



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