コーヒーハウスの情報交換から「海上保険」が生まれた

あなたは、経済の歴史をどれだけ知っていますか? 株式会社はいつごろできたのか。投資という行為はどうやって生まれたのか。紐解いてみると知らないことばかりです。学校では習わない「お金の歴史」について、投資家で、『金融の世界史』著者でもある板谷敏彦先生に聞きました。
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世界最古の保険証書「ダティーニ文書」

――「保険」は、住宅に次いで「人生で2番目に高い買い物」と言われます。日本人は生命保険への加入率が高く、約8割の人が加入していますが、現在の仕組みがどうやってできたかは意外と知りません。今回はその歴史をひも解くことで、保険への理解を深められればと思います。

保険と言っても、「損害保険」や「生命保険」など、その種類によって成り立ちは異なります。中でも、災害や盗難のリスクを加入者全体で肩代わりする損害保険は歴史が古く、世界初の法典と言われる「ハムラビ法典」にも、その原型と思われる内容が出てきます。

また、ギリシャ時代には、「冒険貸借」と呼ばれる海上保険のような契約が盛んに結ばれていました。航海する船主に出資者がお金を貸し、無事に戻ってきたら利息をつけて返済してもらう。その代わり航海が失敗した場合は、出資したお金は戻って来ないという仕組みです。これは貸付というより投資ですが、利息収入が禁止とされていた中世キリスト教時代には、冒険貸借で払われる利息は「後払いの保険料です」と言って支払われ、これがやがて前払いになって現在の海上保険になったと考えられます。

保険証書として現存する最古のものは、1870年にイタリアで発見された「ダティーニ文書」だと言われています。イタリアのトスカーナ地方にある小都市プラートの商人だったフランチェスコ・ディ・マルコ・ダティーニは、1370年から1410年までの間に書き綴った約500冊の帳簿と会計簿、約300通の共同経営の契約書、そのほか保険証書や為替手形、私的日記など、15万通もの書簡を残していました。この「ダティーニ文書」には、プラートの商人たちが航海に出る船に対して、丹念に保険をかけていたことが書かれています。世界で最初にリスクを背負った事業が「航海」ですから、損害保険の中でも「海上保険」が起源のビジネスとして発展していったのは、必然的な流れといえるでしょう。

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――海上保険を取りまとめて売買する会社もあったのですか。

それについては1つ、面白いエピソードがあります。
1687年、英国ロンドンで、エドワード・ロイドという男が24時間営業のカフェ「ロイズ・コーヒーハウス」を開店しました。当時、アフリカで栽培されたコーヒーは東インド会社によってロンドンに多く輸出されていました。イギリス人が紅茶を飲むようになったのはもう少し後で、このころはコーヒーが流行していたのですね。

コーヒーハウスにはたくさんの人が訪れ、新聞などのメディアが未発達な時代に、人々の情報交換の場所になっていきました。冒険家の航海にお金をかけている投資家や、次の成功を狙う船主、船乗りたちも、ここで航海情報や船の入出港、売買の情報などのやり取りを行いました。それらの情報は、1696年に「ロイズ・リスト」としてまとめられ、このリストを基に、投資家たちが海上保険の売買を始めます。

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1771年、保険引受人が1人100ポンドずつを出し合い、「ロイズ協会」を設立。この団体は後に法人化され、巨大な組織となっていきます。もうお気づきの方も多いですね。現在、世界の損害保険の中心市場として大きな影響力をもつ「ロイズ組合」は、こうして生まれたのです。

テレビや新聞が無い時代、人々が集まるカフェや酒場は重要な情報交換の場でした。アメリカの西部劇によく出てくる、街々に必ず存在した「サルーン」と呼ばれるバー、日本では街道の拠点として栄えた「宿場」などがこれにあたります。

ハレー彗星の発見者が作った「死亡表」

――事故や災害のリスクとは別に、人間の生命に保険をかける「生命保険」は、どのように生まれたのでしょうか?

近代的な生命保険は、人間の寿命の統計データを表した「死亡表」を前提に保険料の計算を行います。統計学の高度な知識が必要なため、生命保険は、損害保険よりも仕組みが整うのに時間がかかりました。
ただ、仕組みが整う前から、「人の命に保険をかける」という動き自体は各地で見られていました。保険学者の木村栄一氏の研究によると、1401年には奴隷の命にかけられた保険が存在していたそうです。しかし、保険の対象となる奴隷は損害保険と同様、人ではなく物として扱われていたため、正確には生命保険とは言えませんでした。

また、16世紀には王様や貴族など、まったく血がつながっていない他人の生命に保険をかけることが流行します。しかし、これはもはや保険ではなく、他人の命に関する賭博行為だと認定され、禁止となりました。このように、人の命に保険をかける行為は広まったものの、とても近代的な保険の仕組みとは言えない状況が続いていました。

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現代の生命保険の考え方の礎となる「死亡表」は、1693年、「ハレー彗星」で有名なイギリスの天文学者エドモンド・ハレーが作りました。ハレーは、住民の死亡記録を詳細に残していたドイツのブレスラウという所の記録データを使って統計解析を行い、年齢と死亡率の相関関係を発見したのです。この発見によって、実際の死亡率に基づく合理的な保険料が算出できるようになり、生命保険はギャンブルから有益なビジネスへと進化を遂げました。

「死亡表」を使い、世界で初めて近代的な生命保険を販売したのは、イギリスのエクイタブル社です。同社は死亡率によって平準化された「平準保険料」を採用しました。以後、イギリスでは生命保険会社が次々と設立され、1843年には、蓄積されたデータを分析した新しい死亡表「17会社表」が発表されました。

日本では明治維新の1年前、福沢諭吉が『西洋旅案内』でヨーロッパの近代的保険制度について紹介します。後に彼の門下生である阿部泰蔵が設立する、日本初の生命保険会社「明治生命」をはじめ、多くの生命保険会社が創業時に採用したのが、「17会社表」でした。ハレーの発見は、日本の生命保険の歴史ともつながっているのですね。

成り立ちを学び、未来につなげる

――日本では、生命保険はどのようにして普及していったのでしょうか。

日本の生命保険市場は、戦後から現在にかけて、世界から見ても突出して大きくなっています。国別に見ても、一人当たりの保険料の額は、日本だけ異常に突出しています。その背景には、「生保レディ」と呼ばれる生命保険の営業の女性たちの努力があったと言われています。

私が新卒で企業に入社したとき、すでに生命保険の担当が決まっていて、配属先の席にまで営業に来ていました。最近はセキュリティも厳しくなったので、事務所にまで入れる企業はさすがに減ったと思いますが、それでも食堂や会社の入り口に保険会社の営業が立っているケースはあるでしょうね。昔は新人よりも出入りしている生保レディのほうが会社の事情に詳しかったぐらいです。当時は、女性が活躍できる数少ない仕事で、しかも営業職で結果を出せば高いインセンティブをもらえるわけですから、生保レディたちは必死に努力したのでしょう。

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――そうした営業努力が背景にはあるものの、日本人は株式や債券などの投資には消極的なのに、生命保険には積極的という複雑な気質を持っていることに驚きました。

そこには、戦後の人々のさまざまな想いがあったのだと思います。戦争でたくさんの人が死んで、残された人たちが「私は家族のためにも保険に入っておこう」と思ったのかもしれません。現代では、戦後のように切羽つまった状況ではないぶん、「保険は最低限のものに加入していればでいい」と考えている人も増えつつあります。時代によって、投資や保険への向き合い方は変わっていくのが常だと思います。

――投資に対する人々の考え方にも、変化が生まれているのでしょうか?

日本人の金融資産が現金・預金に偏り過ぎていることから、政府は「貯蓄から投資へ」をスローガンに掲げて人々に投資を推奨しています。2014年にNISA(少額投資非課税制度)が導入され、さらにマイナス金利となった今、投資に関心を持つ人は以前より増えていると思われます。

こうした流れを受けて、証券会社をはじめとする金融機関による投資家教育が盛んになっています。株式投資は本来、売り買いを頻繁にせず、分散して長期投資を行うほうが利益を出しやすいと言われています。しかし、売買手数料を得るために短期での売買を勧める営業担当者もいて、仕組みを知らない投資家がそのアドバイスを鵜呑みにしてしまうケースもこれまでは多くありました。最近は金融機関も、個人投資家に正しい知識を持ってもらい、金融商品の仕組みを理解したうえで売買するよう啓蒙する方向に変わり始めています。

――詳しく仕組みを知らないまま、その仕組みの上に乗っていることは、思いのほか多いのかもしれませんね。

目の前の事象だけに目を向けると、なかなかその背景や成り立ち、仕組みまでは見えてきません。新卒で入社した私が先輩社員にならって、それが普通だと思って生保レディに薦められるまま保険に加入したように、仕組みを理解しないまま、その仕組みの上に乗っかっている人は多いと思います。生命保険は具体的に①何時、②誰の、③何のために、④どのような商品を、⑤どの会社で、そして、そのためのコストはいくらなのか、よく考えて加入するとよいでしょう。報告のコツである5W1Hと同じですね。

物事の成り立ちを知ることは、仕組みを知ることとほぼ同義です。生命保険ひとつにしても、起源は「死亡表」の完成から始まったことなど、歴史をひも解くことで見えてくる仕組みがあったかと思います。

歴史を学ぶことは、物事の仕組みを知ることであり、それによって自分自身の行動を変えることができます。「こんなことがあった」とただ事実を振り返るのではなく、過去と現在をつなげ、未来に生かしていくところに、歴史を学ぶ意義があるのです。

――保険や投資の成り立ちを学ぶことで、「本来、何のためにあるのか」がわかり、行動も変わって来るのですね。今回も、ためになるお話をありがとうございました!