第七講 文章は引き算で考える

たとえばブログを書こうとするとき、パソコンの前で「さて、なにを書こう?」と固まってしまう人は多いと思います。でも、文章とは「なにを書くか?」ではなく、「なにを書かないか?」を考えたほうがうまくいくものです。今回は、その理由について考えていきましょう。
「第六講 読者と対話しながら書く」を読む

野菜ジュースは何味?

ライターとして誰かに取材する。めちゃくちゃ濃密で、最高におもしろい取材をする。そして取材の内容を、原稿にまとめる。
このときぼくは、取材で出てきた100の話のうち、およそ60くらいしか原稿にしません。残りの40は、どんなにおもしろくても泣く泣く削ってしまいます。

なぜおもしろい話を削るのか?
誌面の文字数が限られているから?
たしかに文字数の制限は大きな問題です。ただし、ぼくが40の話を削ってしまういちばんの理由は、原稿の「味」を濁らせないためです。

これは野菜ジュースを例に考えるとわかりやすいかもしれません。

野菜ジュースとは、十数種類の野菜や果物が”足し算”によってミックスされた飲みものです。栄養のバランスはとれているのでしょうが、野菜ジュースを飲んでいても、自分がなにを飲んでいるのかよくわからないところがあります。
トマトなのか、ニンジンなのか、リンゴなのか、あるいはほうれん草なのか。いろんな野菜・果物が混ざりすぎて、ひと言で「○○味」と表現しづらいのです。さらに、それらの原料が濃縮還元されているため、決して飲みやすいとも言えません。

文章の世界も、まったく同じです。雑多な100の情報を濃縮還元した文章よりも、ある程度統一感のある60の情報で構成された文章のほうが読みやすい。ごくごく飲めてしまう。
読んだ瞬間に「これは○○についての原稿なんだな」「この人はいま○○のことを語っているんだな」と理解してもらえる文章。余計な雑味のない文章。たとえ果汁が60パーセントであっても、飲み口のすっきりしたオレンジジュースのほうが、読者には伝わってくれるのです。

引き算できない要素を見極める

このとき大切なのは、オレンジジュース的な文章をまとめるとき、なにを削ってなにを残すか、という取捨選択になります。

たとえば、グラスのなかに「オレンジ色の砂糖水」が入っていたとします。それを飲んだとき、おそらくぼくらは「これはオレンジジュースっぽいなにかだ」と考えるはずです。少なくともリンゴジュースやグレープジュースと間違えることはありません。

しかし、これが「無色透明のオレンジ味飲料」だったら、どうでしょう?
舌がびっくりして、頭が混乱するのではないでしょうか?
オレンジっぽい味がするけど、だとしたらこんな色をしているはずがない、これはきっと別のなにかだ、と考える可能性は十分にあります。
なぜなら、オレンジジュースにとっての「オレンジ色」とは、ぜったいに”引き算”することのできない、本質的要素なのです。

ぼくが原稿を書くとき、まず考えるのはこの「ぜったいに”引き算”することのできない要素」です。
脳科学者にインタビューする。おもしろい話、知らない話がたくさん語られる。あんな事例、こんな事例、専門家としてさまざまなデータを教えてくれる。できればすべてを収録したい。
でも、原稿をどろどろした野菜ジュースにしないため、おいしくて飲みやすいオレンジジュースにするため、多くの要素を削っていく。
そして”引き算”のなかで、ぜったいに削ってはいけない要素はなにか、話の本質はどこにあるのかを見極める。本質が抜け落ちた文章は、いくら情報量が多くてもなにひとつこころに残ってくれません。

編集者の方々と話していると、経験不足のライターさんほど「なぜあれだけの話を聞いたのに、わざわざ『ここ』を原稿にするんだ!」と思わずにいられない取材原稿を書いてくるといいます。話のキモはそこじゃないだろう、というわけですね。
文章がうまいとかうまくないとかいう技術的な話は、ライターにとってそれほど大きな問題ではありません。小手先のテクニックなんてものは、経験を重ねればいくらでも上達します。いちばん大事なのは「話のキモがどこにあるかを察知する目」なのです。

自分を疑う手間を惜しまない

それでは、どうすれば「話のキモがどこにあるか」を見極められるのでしょうか?
まず、ぜったいにやるべきなのは、「頭のなかにある要素を紙に書き出すこと」です。

これは、旅行の前に地図を確認するのと似ています。
ひとたび文章を書きはじめてしまうと、つまり道を歩きはじめてしまうと、人は主観的な視点から逃れられなくなってしまいます。
東西南北といった客観的な位置関係は、すべて自分を中心とした「右」や「左」になり、いつの間にか遠回りしたり、道に迷ったりしてしまうのです。

ですから文章を書きはじめる前に、頭のなかにある要素を紙に書き出し、自分がどんな道を進もうとしているのか、あるいはどんな道を進むべきなのか、客観の目で考える必要があるのです。

たとえば10個のキーワードを書き出して、そのうち大事な5つをマルで囲む。そしてマルで囲んだキーワードを矢印で結び、大まかな道筋を考える。足りない中継ポイントがあれば、追加で書き出す。
ぼんやりと頭のなかで考えるのと違い、紙に書き出してみると多くの発見があるはずです。

そして、やや精神論っぽい話になってしまいますが、最後の最後には「自分を疑う手間を惜しまないこと」が文章の出来不出来を決定するのだと思います。

夜中に書いたラブレターの例を待つまでもなく、文章とはとかく自己陶酔や視野狭窄に陥りやすい、主観的なツールです。一度書いてしまった文章は、竣工した建造物のような、固まったボンドのような、もはや動かせないもののように感じられてしまいます。
しかし、原稿を書く前にも書いた後にも、何度となく自分を疑わなければなりません。

思いつくまま書こうとする自分を「それでおもしろい文章が書けるか?」と疑う。
頭で整理しようとする自分を「紙に書き出さなくても大丈夫か?」と疑う。
紙に書き出したキーワードを眺めて「ほんとうにこれがすべてか?」と疑う。

そうやって、自分に何重にも疑いの網をかけていくことで、ようやく書くべきことが見えてきます。
とくに思いついたキーワードを紙に書いて客観視することは、ぜったいにやっていただきたいセルフチェックです。

ぼくは想像力あふれる天才ではありません。もし「自分を疑う手間」を惜しむようになったら、ぼくの書く原稿は途端につまらないものに成り下がるでしょう。そして非礼を承知でいうなら、本講義を受講されているみなさんもまた、文章の天才ではないはずです。

自分を疑うのはむずかしく、面倒くさく、また苦しい作業ではありますが、そのわずかな手間が文章の出来を大きく左右するのだと考えましょう。

では、今回のポイントをまとめておきます。

・文章は”引き算”によって生まれるもの
・「なにを書くか」より「なにを書かないか」
・野菜ジュースな文章は読みづらい
・文章の「引き算できない要素」を見極めよう
・自分を疑う手間を惜しまない

次回、最終講義のテーマは「誰に向けて書くのか?」。読者が見えれば文章が見える、というお話です。