資産運用の起源は「牧師の親切心」

あなたは、経済の歴史をどれだけ知っていますか? 株式会社はいつごろできたのか。投資という行為はどうやって生まれたのか。紐解いてみると知らないことばかりです。学校では習わない「お金の歴史」について、投資家で、『金融の世界史』著者でもある板谷敏彦先生に聞きました。
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寡婦を見過ごせなかった2人の牧師

――株や不動産、国債、投資信託など、さまざまな手段を用いて将来のリスクに備える「資産運用」。いまでは当然の考え方ですが、人々がこのような手段を用い始めたのは、いつごろなのでしょうか。

近代的な「資産運用」の歴史は、18世紀初頭のスコットランドから始まります。スコットランドの首都エジンバラに、ロバート・ウォレスとアレキサンダー・ウェブスターという2人の牧師がいました。2人はそろって大酒飲みでしたが、人の不幸を見逃せない優しい性格でもありました。彼らは、友人の牧師が家族を残して亡くなったとき、残された奥さんをはじめ遺族が収入源を絶たれて極貧の生活を強いられる状況を目の当たりにして、心を痛めていました。

このような悲劇を減らせないだろうか――? 彼らは知恵を絞り、牧師たちがお金を出しあって、何かあったときのための保険を作ることを思いつきました。前回紹介した「ハレーの死亡表」は既にあったので、数学が得意だった2人はこれを参考に牧師の平均寿命や家族構成などを統計処理し、牧師一人ひとりの年間保険料を割り当て、将来に備え始めたのです。集めた資金を保険基金とし、仲間の牧師が亡くなったら遺族に支払うだけでなく、残高で国債を買って、増やしていくことにしました。後に「スコットランド牧師の寡婦年金(スコティッシュ・ウィドウズ)」と呼ばれるこのシステムが、資産運用の始まりです。スコットランドの首都エジンバラは今でも資産運用の聖地といわれています。

――資産運用が2人の親切な牧師から始まったというのは、面白いです。

そうですね。最初は牧師たちの遺族を救うために基金が作られたのですが、その仕組みを使って堅実にお金を増やせることがわかると、彼らに資産運用を任せたいという一般市民が出てきます。1812年には、いくつかの年金が寄り合い、保険加入対象者を牧師だけでなく一般人にまで拡大し、スコティッシュ・ウィドウズが企業化されました。資産運用の世界を長い間リードし続けたこの保険会社は、現在もロイズ銀行グループの傘下で継続していて、「美しすぎる未亡人」をイメージした宣伝もなされています。

スコティッシュ・ウィドウズが堅実な資産運用をできた理由

――スコティッシュ・ウィドウズの運用成績は、一般人にまで広がるほど、良かったのですね。当時、どんな国債に投資をしていたのですか?

彼らが資産運用の手段に選んだ金融商品は、国債でした。そのころは市場参加者が多くて、売り買いが容易な「コンソル国債(永久国債)」が普及した時期に重なります。

従来の国債は、発行時期によって利率や満期が異なるものを、別々の商品として売っていました。金融商品は種類が増えれば増えるほど、一商品あたりの保有者数が少なくなります。保有者が少ないと「売りたいときに買い手がいない、買いたいときに売り手がいない」という状況が生まれやすくなり、取引が鈍化してしまう問題が生じていました。

また、当時のイギリスの証券業者たちは、商人との兼業が多かった。国債の取引だけを専業にしている人は極めて少なく、他の仕事と掛け持ちで忙しいため、国債取引における煩雑なやりとりを簡素化しないと、国債の購入者が増えないという事情もありました。

そこで、1752年に当時の英首相兼大蔵大臣であるヘンリー・ペラムが、これらの国債をひとつに統合(コンソリデート)し、「コンソル国債」が生まれました。

――国債の保有者を増やして、流動性を高めようとしたのですね。

「コンソル国債」は満期がなく、半永久的に利子が発生し続ける国債です。当時の年利は約3%で、金融商品としてかなり安定していました。スコティッシュ・ウィドウズはこの「コンソル国債」を利用し、さらに「複利」の力で資産を堅実に増やしていったのです。

「信用」があったからお金を集められた

――「複利」って言葉は聞いたことがありますが、あまりピンときません。

利息がついたら、それをまた元本に組み入れて、雪だるまが転がるようにお金を増やしていくのが「複利」です。例えば年間で3%の利息が付いたら、合計103%となった資金をまた運用に回す。一方、「単利」は元本に対してのみ利息を計算するので、雪のカタマリを1つ1つ積み上げていく感じで、成長はゆっくり。日本人はお金を増やすというと、単利をイメージする人が多い。でも本来、投資をするというのは複利の力を使うということなのです。

――「コンソル国債」が発行されたタイミングなど、いろんな偶然が重なったのですね。

もう1つ、彼らの職業が牧師だったことも影響しています。人は、信頼した相手でないと、お金を預けようと思いません。今なら銀行という仕組みが浸透しているから簡単ですが、一個人が「お金を集めて、年を取ったときに年金として払います」と言っても、詐欺と疑うのが自然でしょう。ですから2人が牧師であったこと、おそらく立場も上で周りからの信頼が厚かったということも、スコティッシュ・ウィドウズ誕生の偶然を支えています。

――確かに、お金を預かるには相当な信頼関係が必要です。タイミングだけじゃなく、「誰がやるか」も重要な条件だったのですね。

さらに言うと、彼らがイギリス国教会に所属していたこともポイントだと思います。キリスト教は元々「金利」を禁止していましたし、2人がカトリックだったらこのような仕組みは誕生していなかったでしょう。また、2人が数学を得意としていて、保険に関する数理計算ができたからこそ寡婦年金もできたのでしょうし、そうしたさまざまな要因が重なった結果、資産運用の概念は広まったのだと思います。

――今では当たり前のように使っている資産運用の概念が、歴史の偶然の上に成り立っていたのだとわかりました。今回もありがとうございました!