第八講 読者はどこにいるのか?

全8回にわたって続けてきたこの講義も、いよいよ今回が最終回となります。最後に扱うテーマは、ズバリ「読者」。われわれは誰に向けて文章を書くべきなのか、という話です。あまり意識したことのないテーマかもしれませんが、とても大切な話なので、ぜひ考えてみてください。
「第七講 文章は引き算で考える」を読む

文章の基本は「手紙」にある

仕事であれプライベートであれ、「文章を書く」という行為そのものに、なんともいえない敷居の高さを感じる人は多いと思います。キーボードの前でどうしたものかと固まってしまう、あの状態です。
そんなとき、ぼくは「すべての文章は『手紙』である」と考えるようにしています。文章を書くときに考えるべき基本要素って、ぜんぶ手紙に詰まっているんですよね。つまり、以下の要素です。

・自分はなにを伝えたいのか(お願い、謝罪、お祝いなど)
・自分はいつ伝えるべきなのか(年賀状、暑中見舞い、誕生日カードなど)
・自分は誰に伝えたいのか(宛先)

SNSのつぶやきならともかく、なんの用件もないのに手紙を書く人はいませんよね。また、手紙にはそれを出すべきタイミングというものがあります。2月や3月になって年賀状を出すのは、ちょっと考えものでしょう。
そしてわれわれが文章を書くとき、いちばん忘れてしまいがちなのが、「自分は誰に伝えたいのか」という点、すなわち読者の存在です。

ただひとりの読者を喜ばせるように書く

作家のカート・ヴォネガットは、短編集『バゴンボの嗅ぎタバコ入れ』(浅倉久志・伊藤典夫訳/早川書房)のなかで、創作のポイントについて8つのルールを挙げています。彼はかつて、アイオワ大学やハーバード大学などで創作講座を受けもった経験があり、たとえばジョン・アーヴィングなども、その教え子のひとりでした。
創作講座で語られた8つのルール、その全貌は本のほうで確認していただくとして、ここでは第7条のみを紹介したいと思います。

「ただひとりの読者を喜ばせるように書くこと。つまり、窓をあけはなって世界を愛したりすれば、あなたの物語は肺炎を罹ってしまう」

ただひとりの読者を喜ばせるように書く。窓をあけはなって世界(みんな)から愛されようとするな。額面どおりに受けとるなら、「みんなを喜ばせるような文章は書くな」というルールです。いったい、どういう意味なんでしょう?

じつはこれ、当たり前といえば当たり前の話なんです。そもそも「みんな」なんて人間はどこにもいないんですね。たとえば100人が読む文章だとしたら、その読み方や解釈は100とおりになるのが当然で、けっして「みんな」という人格を持った誰かが読むわけではありません。
この点を失敗し、ヴォネガット流にいうなら「肺炎を罹って」しまっているのが、企業のダイレクトメールになります。ダイレクトメールの文面は、特定の誰かに向けられたものではなく、不特定多数な「みんな」に向けて書かれています。そのため、どんなにいいことが書いてあっても、たとえ「お誕生日おめでとうございます」的なメッセージがあったとしても、ちっともこころに響きません。
手紙とは、他ならぬ「あなた」が、「わたし」に向けて書いてくれた文面であるからこそ、こころに響くのです。

想定読者をどうやって絞り込むか

さて、ここで大きな問題が発生します。「ただひとりの読者」なるものが、いったいどこにいるのか? という問題です。
たとえばブログを書くとき、より多くの人に読んでもらいたいと思うのは、普通のことですよね。ぼくのようなライターだって、ひとりでもたくさんの読者に読んでほしいと思って原稿を書いています。自分の知り合いだけが喜ぶような、内輪ネタめいた原稿なんてぜったいに書けません。
にもかかわらず、ヴォネガット先生は「ただひとりの読者を喜ばせるように書きなさい」とおっしゃる。どうすればいいんでしょうか?

そこで今回、具体的に2人の読者を紹介したいと思います。あらゆるタイプの文章は、このいずれかを想定読者とすればいい、というのがぼくの意見です。

・特定の「あの人」
・あのころの「自分」

順番に説明しましょう。
まず、特定の「あの人」ですが、これはもう具体的に顔の浮かぶ誰かです。上司でもいいしクライアントでもいいし、友達でも家族でもいい。とにかく「みんな」や「20代の男性読者」などではなく、特定の個人にまで絞り込みます。
というのも、対象読者として想定した「20代の男性読者」なんてのは、しょせん幻想なんですよ。「これが典型的な20代男子だ!」みたいな人間はひとりもいないし、そんなものはメディアやマーケターや書き手の頭のなかだけに存在する、うそっぱちのイメージにすぎないのです。
仮に20代の男性読者に読んでほしいのだったら、具体的にどこに住む誰なのか、顔が見える「あの人」にまで絞り込まねばなりません。そうしないと文章は、ダイレクトメール的な、八方美人な姿になり、結果として誰のこころにも響かないものになります。

ただし、ここで注意したいのは「あの人」の人選ミスです。
これはライターの例がわかりやすいのですが、ライターのなかには「編集者」に向けて書こうとする人が少なからずいます。駆け出し時代のぼくも、そうだったかもしれません。いちばん顔が見えやすい読者だし、現実問題として原稿にダメ出しをしてくる相手でもあるので、とにかく編集者にOKをもらえるように書こうとするわけです。
でも、それではいい原稿にならないんですよね。
見るべき相手は編集者ではなく、その先にいる読者であって、そこを忘れた原稿はけっきょくこぢんまりとした、臆病なものになってしまいます。
このあたりは「上司」を口説くための企画書なのか、その先にいるクライアントやユーザーを口説くための企画書なのか、といった話に似ているかもしれません。

あのころの「自分」に向けて書く

続いて、あのころの「自分」に向けて書く、です。

たとえば、あなたがカート・ヴォネガットの小説を読んで、めっちゃくちゃ感激したとします。なんなんだこれは、これを読まないなんて人生損してるぜ、みんな飲み会なんかドタキャンして今晩これ読めよ、と興奮しまくったとします。そして、激賞の感想文をブログに書くとします。
さて、このとき真っ先に「いますぐ読め!」と伝えたい相手は誰なのか?

答えはひとつ。他ならぬ自分なんですね。
まだ読んでなかったときの自分、昨日までの自分、10年前の自分に対して、「いますぐ読め!」と伝えたい。そして昨日までの自分と同じ場所にいるであろう不特定多数の誰かに対して、「いますぐ読め!」と伝えたいのです。
であれば、昨日までの自分を頭に思い描きながら、昨日までの自分がおもしろがるような文章を書いていけばいいでしょう。人の心を揺さぶるような文章とは、そうしたかたちでしか書けないものだと思います。

実際の話、ぼくは本講義を「駆け出しライターだったころの自分」に向けて書いてきました。右も左もわからなかった駆け出し時代のあのころ、これくらいコンパクトに文章のポイントを説明してくれる先輩がいたらさぞかし助かっただろうなあ、と。

そして大切なのは、いまこの瞬間にも「あのころの自分」と同じ問題意識を抱えた人は大勢いる、ということです。「あのころの自分」と同じ悩みを抱き、同じところで苦労して、同じ迷路をさまよっている人は、かならずいる。
先の例でいうなら、カート・ヴォネガットを読んだことがなくって、でも読んだら人生ひっくり返るくらいの衝撃を受けて、意味なく大声で叫び回りたくなるような「あのころの自分」と同じ人間は、かならずいる。
つまり、「あのころの自分」に向けて書くことは、ものすごくたくさんの「見知らぬ誰か」に向けて書くこととイコールなのです。

文章にかぎらず、宣伝や商品開発など、さまざまな企画で思い悩んでいる方は、ぜひ「あのときの自分」を思い出してください。それは昔を懐かしむことでも、独りよがりになることでもありません。いまを生きている「見知らぬ誰か」と同じ目線で考えるための、いちばん確実な方法なのです。

では、今回のポイントをまとめておきます。

・すべての文章は『手紙』である
・自分は誰に向けて書くのか、を意識しよう
・ただひとりの読者を喜ばせるように書く
・特定の「あの人」か、あのころの「自分」か
・かつての自分に向けて書けば、いまを生きる誰かに届く

以上、全8回にわたってお送りしてきた文章講義も、今回が最終回となります。ここまでお付き合いしてくださった読者のみなさま、どうもありがとうございました。