正しい事業は全部、串カツ田中が教えてくれた【後編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・串カツ田中 貫啓二社長 / 貫 啓二

白いテント看板に「名物串カツ田中」の文字。赤と黄の提灯が並び、にぎやかな中の様子が見えるガラス張りの店舗。関東圏を中心に多店舗展開を進める「串カツ田中」の店に、見覚えがある人もいるだろう。貫社長は、大企業を辞めてバーやレストランを経営し、最後に行きついた串カツ田中で事業とは何かを知ったと言う。串カツにほれ込んだ貫社長の成長ストーリーを紹介する。
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まねされて気付いた多店舗展開の重要性

われわれが串カツ田中に手ごたえを感じ、これ一本で勝負しようと決めたころ、「串カツの店が流行っている」と噂を聞いた他社が、似たような店を出し始めました。それで行ってみたら、見よう見まねで作ったレシピで、美味しくない。「これでは串カツが誤解される」と、焦りました。

日本では、大阪以外に大衆的な串カツ文化は根付いていません。焼き鳥ならまずい店に当たっても「他の美味しい店に行けばいい」となりますが、初めて串カツ店に行った人が美味しくないものを食べたら、「串カツってこんな味か」とがっかりするでしょう。「もう串カツは食べなくていい」と思う人も、いるかもしれません。それでは困ります。

「素材に串打ってパン粉つけて揚げて出せばいい」という誇りも情熱もないような店に、串カツのイメージを作られたらかなわない。うちは秘伝のソースから始まり、油やパン粉、いろんなバランスを考えながら串カツの味を追求しています。他店より先に串カツ田中に来てもらい、庶民的で美味しい味と雰囲気に触れてほしい。そう思って2011年、出店スピードを上げるためにフランチャイズ展開をスタートしました。

私たちの成功は、串カツ田中1店舗、2店舗の繁盛じゃない。串カツを「日本を代表する食文化」に育てあげ、串カツ田中がその代表になってこそ、成功といえる。そのためにも、出店スピードを上げながら、味も接客もブラッシュアップし続けなければいけない。われわれがきちんとブランドを育てている限り、まねするほうは追いつけない。そう気づいたのは、ある意味、まねしてくれた他社のおかげだと思います。

間違った事業の果てに串カツにたどりついた

フランチャイズ展開を始めてから、初年度は6店舗、次年度からは19店舗、43店舗、67店舗……とスピードを上げて出店しています。2017年11月期には、直営店とフランチャイズを合わせて40店舗出店し、合計171店舗となる予定です。目指すは、国内1000店舗。ゆくゆくは海外展開も視野に入れています。

串カツ田中が多店舗展開に合っているというのは、最初に直営店を経営する中で見えていました。まず、店の作りが至ってシンプルで、初期出店の投資額が1店舗当たり2500万円程度と安く、回収が早い。私が最初に手掛けたデザイナーズレストランは、初期費用に6000万円をかけましたから、半分以下です。入り口は屋根に店名を書いたテント布を張り付けただけ。店内も簡単なテーブルにパイプ椅子を並べ、壁にメニューの木札をぶら下げるだけで、大衆酒場の雰囲気です。

根底を支えるソースなどの味は秘伝にしていますが、作り方はマニュアル化し、練習すれば調理できるようにしています。これはデザイナーズレストランのときの反省で、料理人の腕に頼る店は個人店であれば素晴らしいですが、料理の技術がない自分にはコントロールが難しく、向いていないと実感していました。

最初に人通りの少ない住宅街でうまくいったのもラッキーでした。世田谷店の成功で、繁華街でなくても、どこでも出店できるビジネスだということがわかったからです。

振り返ってみれば、「お金がない」ことが本当に幸いでした。お金がなかったからこそ、初期費用をぎりぎりまで抑えて、ふつうなら避ける不利な場所に店を出した。それが繁盛して、「そうか、これで良かったのか」と気付けたんです。

私は串カツ田中から、正しい事業をすべて教えてもらいました。都会に山ほどあるショットバーを、酒の味も知らないで始めた時代。デザイナーズレストランを開いて流行には乗ったけれど、キャッシュフローが回らず、料理人のマネジメントもうまくいかなかった時代。それらの間違った事業で追い詰められて、最後に開き直って串カツの業態をやってみたら、今度は次々とうまくいった。

店を出せば期待を上回る売上と利益が上がり、フランチャイズ展開を呼びかければ「やりたい」と言ってくれるたくさんの加盟希望者が名乗り出てくれる。多店舗展開と共に多くの人材が育って、2016年9月にはついに東証マザーズに上場しました。ここまで来れたのは、正しい事業に出合い、成長の好循環を回せるようになったから。すべて、串カツ田中のおかげです。

上場記念の打鐘。左から4番目が田中副社長

借金のおかげで退路を断てた

私は若いころから、商売のために借金をしてきました。27歳で会社をやめてバーを始めたときの開店費用が、600万円。30歳でデザイナーズレストラン1号店を開店したときの費用が、6000万円。このとき、トヨタ時代にかわいがってくれた上司からも、運転資金を借りました(このお金は「成功しなかったら返さなくていい」とまで言っていただきましたが、店が流行したおかげで手を付けずに返すことができました)。東京への出店などでさらに費用がかかり、33歳のころには全部で1億3000万円くらいの借金を抱えていました。

いちばん怖かったのは、最初に600万円を借りたとき。失敗したら全財産を失う、もう戻れないと思いました。ジャンプ台を蹴って、別の人生に飛び込むような感覚です。飛び込んでしまえば、あとは必死で泳ぐだけ。借金をしていることに徐々に慣れていきますが、それでも怖さは常にあります。

借金は怖い。でも借金がなかったら、つらいときに簡単に逃げてしまいます。自分で事業をやるって大変なことで、うまくいかないこと、やめたくなるようなことがしょっちゅう出てきます。簡単に始めたことは簡単にやめられますが、私には借金があって、やめられなかった。でも、それでよかったんです。なぜなら、「やめたときが負け」だから。そのとき赤字だろうが、ビジネスモデルを間違えて崖っぷちに立たされようが、やめなければいつかは勝てる。そんなことも、串カツ田中は教えてくれました。

流行りものが好きで、飽きっぽかったかつての私から、今はずいぶん変わりました。串カツ田中が、正しい事業を教えてくれたからです。この業態に出合ってから、もっと店を良くしよう、お客さんを喜ばせようと努力したことは、すべて結果となって返ってきています。私はこの業態に愛された。このことに、最大限の努力で応えていくつもりです。

串カツを日本を代表する食文化にする――。私たちの夢は、まだ始まったばかりです。