「勘定奉行」のヒットで知った。「顧客の選択は常に正しい」【前編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・OBC 和田成史社長 / 和田 成史

「勘定奉行」をはじめとする基幹業務ソフトを開発・販売し、日本企業の生産性向上に大きく寄与してきた、オービックビジネスコンサルタント。1980年の創業以来、37年間トップとして会社を引っ張ってきた和田成史社長は、「クラウド」という技術革新の波に乗り、新たな事業戦略を描いている。会計士、IT戦略のプロ、そして経営者。3つの強みを持つ和田社長の目には、どんな未来が映っているのだろうか。

感情より先に「数字」が浮かぶ

私は何か行動を起こそうとするとき、「数字で考える」クセがあります。やろうとすることに対して、必要な経費はいくら、売り上げの予測はこれくらい、そうすると利益はいくら。足りない分は借入をして、どれくらい辛抱すればプラスに転じるか――。頭の中に、数字がばーっと見えてくる。感情より客観的データが先に頭に浮かぶのです。これは、私が公認会計士として社会人生活をスタートしたという、経営者としては少し変わった出自のおかげです。

1970年代後半のことです。大学を卒業し、公認会計士の資格をとった私は、監査法人でのアルバイトや簿記・会計の専門学校の受験指導を掛け持ちしながら、父の知人に紹介されたメーカーでコンサルタントの仕事を始めました。そのころは二度にわたるオイルショックで業績を圧迫された会社が多く、普及し始めていた「オフィスコンピューター(いわゆるオフコン)」を使って、生産性を向上させたいというニーズがありました。

オフコンに興味を持った私は、基礎的なことを勉強し、導入からシステムの設計・開発まで自分でできるようになりました。たとえば、「在庫の圧縮という課題には、ストックとフローを見える化する生産管理のシステムが必要。こういうコンセプトと仕様で作ってください」と、技術者に言えるくらいの知識を身に付けたのです。ITの分野は、数字に強い私にとって面白く、可能性を感じる世界でした。さすがにコーディングまでは、勉強しませんでしたが……。

会計の専門知識とITの力を組み合わせたコンサルタントは、時代の要請に合い、順調でした。そこで1980年、オービックビジネスコンサルタント(以下、OBC)を起業し、ITコンサルタント専属で食べていくことにしました。私はとにかく何でも「自分でやってみたい」と思うので、起業は自然なことでした。ただ、最初はパッケージソフトを作る発想ではなく、ITコンサルタントのためにつくった会社なんですね。

パソコンの将来性にいち早く注目した

「会社に1台のコンピューターと違って、パソコンは汎用機。これから大きく成長して、社会を変えるものになるよ」

起業して少し経ったころ、知り合いの東京大学の先生の話を聞いて、私は居ても立っても居られなくなりました。当時のオフコンは、安いものでも1000万円はして、大変高価なもの。経営効率を上げるとわかっていても、そこそこの規模の会社でないと買えません。新しく出てきたパソコンは、当時100万~150万円くらい。ここに会計のソフトを載せたら、爆発的に売れるだろうと直感しました。何としても、自分の手でそのソフトを作りたい。そう思って、その先生に相談をしたのが、後に累計56万社に導入されるヒット商品「奉行シリーズ」のスタートでした。

先生から技術面のサポートをいただきながら、私の頭にはやはり数字が浮かんでいました。「会計ソフトの開発に、ざっと1億円はかかる。そんな大金を、海のものとも山のものとも知れない自分に投資してくれる金融機関を探すのは大変だろう。それならまず、開発資金を作ろう。オフコン向けに売れている、アメリカの表計算ソフトの日本版を作ってみたらどうだろうか……?」

この計画はうまくいき、完成した表計算ソフトを8600万円で売却しました。このお金を元手に、7人で1年かけて開発を続け、資金が切れるぎりぎりで、日本初のパソコン用会計ソフト「TOPシリーズ」(後の「奉行シリーズ」)が完成したのです。当時からぽつぽつと需要があったので、スタートアップの時期としては間違えてなかったはずです。ただ、市場の成長には思ったより時間がかかりました。

「パソコンの普及とともに、会計ソフトも爆発的に売れる」という確信はあったのですが、実際にその時代がやってくるまでに5年もかかりました。その間、資金繰りが非常に苦しく、キャッシュフローにいつも頭を悩ませていました。1990年代に入り、ようやくNECの「PC-9800シリーズ」が普及し、さらに1995年にマイクロソフトから「Windows 95」が発売されると、一気にパソコンを使う人が増えました。その波に乗って、当社の会計用ソフトの売り上げも飛躍的に上がります。市場の成長を待つのは金銭的には大変でしたが、神様のようにタイミングを計ることができない以上、辛抱も必要なことだったのだと思います。

社会は必ず正しい方向に変化する

われわれの事業は、インターネットをめぐる環境変化に大きく左右されます。起業後に大きく成長できたのは、「パソコンの普及によって世の中が変わる」という変化を予測し、確信できたからですが、そう簡単にはいかない場合もあります。経営者として最も迷い、悩んだのは2001年のITバブル崩壊後の時期。ウェブでサービスを提供する会社が増え、Windowsの業績が一時落ち込んだときのことです。

このまま、すべてのサービスが無料または低価格のウェブにとってかわられるというのが大勢の見方で、「マイクロソフトはなくなる」という言い方をする人すらいました。私は1990年代に、最初にWindowsを見て以来、統一プラットフォームという考え方に感銘を受け、以来、Windowsベースでの開発に資源を集中してきました。マイクロソフトがなくなれば、Windowsベースの商品を作っている当社も同じ運命をたどります。これから業界はどうなっていくのか。その見極めに1年間、苦しい思いをし、悩み抜きました。

会社というのは、常に外部環境の変化というリスクにさらされています。トップとして経営判断をするわれわれにとって、それは脅威であると同時に、大きなチャンスです。なぜなら、リスクにさらされることによって、深く思考することができる。そうやってリスクを乗り越えることで、さらに成長し、強い企業になることができるからです。

悩み抜いた結果、私は当時ブームとなっていたウェブ会計ソフトは、まだまだお客さまにとって使い勝手が悪いと判断しました。それまで使っていたパッケージソフトのほうが、使いやすい。ということは、われわれはやるべきではない。むしろ、Windows向けの商品をもっともっとブラッシュアップして、お客さまに貢献し、満足度を高めることで、このブームを乗り越えていけるはずだ。それが、私の決断した方向性でした。

いまとなっては、その決断は正しいものでした。世の中がみんな同じ方向にいこうとするとき、踏みとどまるのは勇気が要りますし、取り残されていく不安も感じます。しかし、当時のウェブサービスの増加はまだブームどまりで、本物の変化ではありませんでした。

このことがきっかけで、私は「社会というのは、長い目で見れば必ず正しい方向に変化するものだ」と学びました。お客さまは、自分たちにとって利用しやすく、有益なサービスをきちんと選び取ってくださるのです。ですからこれからも、目先の技術に走ってお客さまの満足を忘れるようなことは、絶対にあってはいけない――。強く自分を戒めるきっかけにもなった出来事でした。