『信長の野望』からVRまで。「世界初」に挑み続ける【前編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・コーエーテクモホールディングス 襟川恵子代表取締役会長 / 襟川 恵子

歴史シミュレーションゲームの金字塔『信長の野望』をはじめ、数々のヒット作を生み出してきたコーエーテクモHD。同社はいま、話題のVR市場に挑戦している。企画・デザインを手掛けるのは、襟川恵子会長。創業者である夫(襟川陽一社長)とともに歩んできた道のりを振り返りつつ、「これからも世の中にないものをつくる」と語る。

反対にもめげずVRの実現に挑む

いま力を入れているVR事業は、私がやりたい! と言って始めました。VRの歴史は古いのですが、ビジネスとしては成功できていませんでした。いま新たな感動を体験する技術としてふたたび注目されています。確かに、VRにはわくわくする可能性を感じます。当社開発の「VR SENSE」は、ただ映像を見るだけでなく、風が吹いたり、香りがしたり、雨が降ったり、上から何か落ちてきたり、足元をネズミ等がすり抜ける触覚など五感を刺激する仕掛けを入れました。VRを五感で体験できれば、今までにない感動が生まれます。

そこで、VRの新ビジネスを立ち上げたいと言ったら、経営幹部から「まだビジネスモデルが確立していないから、難しい」と反対されました。社長の襟川(編集部註:創業者で、現社長。伝説的ゲームクリエイター)も、「やってもいいけど、ゲーム部門からは人は出せない」と言うんです。そう言われてますます、私の心に火が付きました。

当社のモットーの1つは「新分野に挑戦する」です。当社は1981年にゲーム業界に参入して以来、ずっと「世の中にないゲーム」をつくってきました。『川中島の合戦』『信長の野望』といった本格的な歴史シミュレーションゲームから始まり、投資ゲーム、女性向けゲームなど、数々の「世界初」を世に出してきました。私がいつも広告に「世界初!」と書くものですから、あるときとうとうお客さまから「いい加減、いつも『世界初!』のコピーはやめたら」と言われたほどです(笑)。

初代『信長の野望』のパッケージ

いま、VRという新しい技術を使って「五感で体験する」ゲームは、まだ世の中にありません。ここでも「世界初」で、お客さまにわくわくしていただける可能性がある。そのチャンスをみすみす逃せない。チャレンジしたいと思いました。

ただ、襟川が言うように、忙しいゲーム部門の社員にいま以上の負荷はかけられません。そこで私は人事ファイルから、グループ会社の残業時間の少ない社員がいないかを1人1人見ていきました。そうしたら、いたのです! パチンコ・スロット部門で映像をつくっているエンジニアが2~3名。皆新しいチャレンジは大好きですから、「VRの事業やらない?」と声をかけました。あとは新卒の社員を1名技術支援部門に送り込み、当社のゲームエンジンの教育をしています。未経験者の少ない戦力を活かして、暗中模索の中でゴールを目指す。まるでアドベンチャーゲームみたいな日々ですよ(笑)。

開発中のアミューズメント施設用VR筐体「VR SENSE」

筐体のデザインは、経営会議中に2~3分で描いて、3D化しました。私は美大出身でCGやグラフィックデザインの責任者でもあるので、試作品の確認のときには1人で中国に行きました。商社の方や現地の筐体制作会社の皆様に手伝っていただき、型を見ながら「のこぎり持ってきて! 大きな紙とセロテープも!」と言ってその場で修正し、6~7人の方々が、セロハンテープ切り係や、私の描いたライン通りに紙を切り貼りする係など分担して下さり、作成しました。ロゴデザインや位置もその場でできるので、神経を集中し、楽しく、早く、5~6時間で終わりました。

そして、発想から10ヵ月後の今年2月、完成した筐体「VR SENSE」の記者発表を行いました。どんな場所で楽しんでいただくのか、価格をどうするか、繰り返し体験したいと思う仕掛けをどうするか。アイデアはいろいろありますが、ビジネスモデルとして成功しなければ、単なる徒労で終わります。私たちのアドベンチャーは、まさにこれからが正念場です。

声優がCDを出す前例をつくった

私が企画・デザインを手掛けるのは今に始まったことではありません。ゲームソフトに参入したころは、社長の襟川と2人で家内制手工業のような状態でしたから、パッケージや広告のデザインやキャッチコピー、販売などは、すべて私の仕事でした。

当時、私は子育てもしていましたので、数分の時間も惜しいほどの忙しさ。1981年に襟川が開発し、光栄(現・コーエーテクモ)として初めて出したゲーム『川中島の合戦』のときは、大変でした。代理店の方がパッケージのデザインを取りに来ているのに、まだできていない。投資ゲームも作りたいので、新聞の株価の欄も入れたマルチユースのパッケージを作ろうと思い、その場で代理店の方に新聞を買ってきてもらいました。

新聞を見たら、当時のフォークランド戦争の写真が載っていました。川中島も合戦ですから、シミュレーションウォーゲームとして、その写真や株価欄をコラージュして、ぺたぺた切り貼りしながらパッケージを作りました。それが「赤バコシリーズ」と言ってよく売れたのです。その後、ソフトウェア著作権協会の代表理事を引き受けてしまった私としては穴があったら入りたいです(笑)。

ゲームのアイデアも色々出しました。特に、女性向けゲームは、襟川がゲームの開発を手がけた当初から作りたいと思っていました。人類の半分は女性ですから。女性が楽しめるゲームがあれば、必ずヒットすると思いました。ただ、当時のパソコンのユーザーは男性が中心で、開発者も男性ばかりでした。女性の開発者が育つことと、市場の成熟。この2つがそろうまでに、10年かかりました。

そして1994年、満を持して女性の恋愛シミュレーションゲーム『アンジェリーク』を発売しました。反響? それはすごかったですよ。雑誌でもたくさん取り上げていただきました。女性ってアイドルのファンになると、グッズやCDなど関連するものを皆、欲しくなります。好きなキャラクターとの世界観を、何度も味わいたいから。そこで、キャラクターを演じる声優さんが歌うCDを作ろうと考えました。

当時は、声優さんが歌うなんて発想はありません。歌ったことがないから、音痴だったりテンポがずれたりします。でも、私はそれでいいと思いました。ファンのみなさんはキャラクターに思い入れがあって、素敵なシーンを思い出してうっとりしたいのであって、歌が上手でなくても好きなキャラクターの歌声を聞けたらファンに喜んでいただけると思いました。ずいぶん反対もされましたが。作ったCDは、飛ぶように売れました。いまでは、人気のある声優さんがCDを出すのは当たり前になりましたし、歌手になれるほど上手な声優さんも増えました。

「世の中にないもの」をつくるのが仕事

襟川は学生時代から、こたつの板をひっくり返してマジックで枡目を描いて何人かでゲームを作って遊んでいました。理工学部の友人にさいころの出目の計算をさせたりして。パソコンのゲームも早くから遊んでいましたが、最初はブロック崩しとかばかりで、思考ゲームじゃない。しかも、途中ですぐにバグが起きて止まってしまう。それなら自分で作ろうと開発したのが、最初のゲーム『川中島の合戦』でした。

世の中にないけど、あったら楽しいだろう、役立っただろう、自分がおもしろいと思うものを、自分の頭で考えてつくり出していく。それが、ものづくりの原点だと思います。逆にいうと、消費者は、「世の中にないもの」を想像し、形にはしません。形や味等を見比べていただき、感想を聞くのは良いのですが、ないものをアンケートで探るのはあてにできません。

何が受け入れられるのか必死で考え、新たに創造するのが、ものづくりをする側の役割ですから仮説に基づくチャレンジの連続です。わくわくするアイデアを形にしていく。ゼロからイチを生み出す仕事は、当社の社員なら皆大好きです。