アメリカの起業家から学んだ、挑戦するマインド【後編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・シミックホールディングス・中村和男 代表取締役CEO / 中村 和男

日本で初めて、製薬会社の医薬品開発を支援するCRO(Contract Research Organization)という業態を根付かせ、ヘルスケアのさまざまな領域で事業を拡大するシミックホールディングス。創業者である中村和男 代表取締役CEOは、アメリカの起業家たちから挑戦するマインドを学んだと言う。2回目は、中村代表取締役CEOが考える「アメリカと日本の違い」について聞いた。
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個性を重視しない日本社会

私が創業した90年代、アメリカで成功したビジネスモデルはだいたい10~20年遅れで日本に入ってきました。なぜそんなに時間がかかるかというと、規制を変えるのが大変だから。規制がない業種だと、5年くらいでしょうか。

UberやAirbnbをめぐる動きを見てもわかると思いますが、日本は規制で「安全・安心」を守っていて、それを変えることにすごく慎重です。私がCRO(Contract Research Organization)のビジネスを日本で初めて立ち上げたときも、まずは業界団体をつくり、法律でCROの役割を明文化してもらうことから始めました。

こつこつ時間をかけて実績と業界の支持を積み上げ、薬事法が改正されるまで5年かかりました。幸い、私は開発者なので、長い時間をかけて成果を待つのはそんなに苦じゃありません。規制の必要性も十分わかっていたので、焦らずに行政に訴えかけていきました。

日本人で慎重な人が多いのは、リスクをとるのが怖い、ということも一因でしょうか。何かに守られていることで、安心感を得たいのだと思います。こういう風潮は、「大企業」がブランド化していることにも、見て取れます。たいていの企業は、取引先を選ぶときに大企業だと無条件でオーケー。どこの馬の骨ともわからないベンチャーがいくら夢を語っても、当時はなかなか融資や取引に結びつきません。

1992年に起業したとき、私は大企業の社員から、マンションの1室で3人が働く小さなベンチャーの経営者になりました。新幹線がグリーン車から普通車になり、出張のホテルも格安になり……。もちろん銀行はなかなかお金を貸してくれません。当時はベンチャーへの投資も、いまほど盛り上がっていませんでした。当面の資金は信用保証協会にお願いしたり、退職金と生命保険を取り崩したりして、しのいでいました。

日本で個人が何かを始めるのは、大変です。そんなとき、ちっぽけな規模であっても、私を「起業家」としてリスペクトしてくれたのは、アメリカの起業家たちでした。いまは大きくなったクインタイルズやパレクセル・インターナショナルといった同業の創業者は、当時からの付き合いです。

日本人はどうしても属している組織のブランドで相手を判断しがちですが、アメリカの起業家の発想は180度違います。あくまでも個人を見て、「あなたは何ができるんですか」と問われる。むしろ大企業の社員は何をしているかが見えにくいですから、あまり尊敬されないことも(笑)。何かをやろうとしている起業家やアーティストのほうが、彼らにとってはよっぽど「すごいヤツ」になるわけです。

一度の成功はステップでしかない

そもそも私が起業する背中を押してくれたのも、アメリカの知人たちでした。
前職で大きな新薬開発のプロジェクトを成功させたときのことです。日本人はみんな、「良かった。出世できるね」と言います。でもアメリカの知り合いは、「おめでとう!」と言ったあと、即座に「で、次は何をやるの?」。

彼らにとって、一度の成功はゴールではなく、次へのステップだと痛感した瞬間でした。「課長や部長になる? そんなことで満足していたら、つまらない!」というのが、彼らの考え。「次は何をやるの?」という言葉は、現状に甘んじない生き方を教えてくれました。

その言葉に背中を押され、私は自分自身で挑戦することを決めました。そのときにまた、日本独自のカルチャーを知ることになります。まず、大企業を辞めることに対して、母親が「近所の人たちから、何か悪いことをしたと思われる」と心配するんです。それは笑い話としても、実際、周囲の方々の反応に疎外感を感じたこともありました。

「これまで世話になった会社に恩を返さず、逃げるのか」「あいつの仕事が軌道に乗るまでは新しい仕事を渡さないようにしようか」――。

志をもって挑戦しようとしている私には、つらい言葉でした。もちろん、私のやりたいことを理解し、サポートしてくれる仲間も大勢いました。だからこそ、いまがあるのです。でも当時、大企業を辞めて起業するということに対する日本社会の反応は冷たく感じました。

傷つくからこそ人は成長できる

もちろん、日本がアメリカに比べて悪いと言っているわけではありません。日本がもっている基盤技術、まじめに正確に製品を仕上げる気質、洗練された文化など、他国に比べてまだまだ日本の競争力はあります。

その強みを知ったうえで、アメリカのようなベンチャースピリットをみんなが持てば、日本の会社はもっと面白いことができる。それなのにいまは逆で、日本経済がシュリンクしていく中で、多くの大企業が守りに入ってしまっているように見えます。これでは、人はのびのび働けません。変化の時代に適合して生き残るには、ベンチャースピリットあふれる「人」を育てなくてはいけません。

私は社員にいつも、「WELL BEING」と言っています。これは、私なりに解釈して「その瞬間を生ききる」ということ。過去の失敗にいつまでもとらわれるとか、未来をあれこれ思い悩むとか、そういうことから離れて「いま」を全力で生きなさいと言っています。

そのために必要なのは、社員が自分の殻を破り、さらけ出すこと。コンプレックスなど、自分の弱さを明かすと人は恐怖心がなくなり、のびのびと振る舞えるようになります。私はこのことに、ブロードウェイの舞台『コーラスライン』を観て気がつきました。

舞台の中で、ダンサーたちがオーディションで自分の過去を告白するシーンがあります。そのとき、表面的なことを言ったダンサーに対して、ディレクターが普段は心の奥で蓋をしている辛いことや嫌なことをつっこんで聞いて、すべてをさらけ出させる。そうやって自分を解放したダンサーが、すばらしい踊りを見せるのです。

私がリーダー育成のために主催している「中村塾」では、まず参加者に「自分にとってのトラウマ」を話すよう提案します。無理強いはしませんが、誰かが話し出すと「自分はひどいと思っていたけど、そっちのほうが大変だな」と言って、どんどん告白が始まります。そうやってトラウマをさらけ出すと、人は強くなる。その結果、お互いをより深く理解し、チーム力が強固になります。

当社は創業時から性別、年齢、国籍、前職での役職も関係なく働いています。現在、フリーアドレスやフレックス制度を導入し、社員がより働きやすくコミュニケーションをとりやすいように整えています。

個を認め合うこと。そして、みんな一緒の「平等」ではなく、それぞれの個性を発揮するための「フェアな機会」を与えること。そういう思想が、人づくりの根底に流れています。

自分の弱さをさらけ出すのって、怖いですよね。でも傷つくことを恐れては、人は成長できません。最初から傷つかないようにしていたら、挑戦できることの幅がすごく狭まってしまいます。

人は、いつかは死ぬ。そう思って、社員には「その瞬間」を生ききってほしい。どんなに頑張っても、人生うまくいかないことはあります。そんなとき、何もしないであきらめるんじゃなくて、一所懸命を尽くすこと。そうやって前を向いて、傷つくことを恐れずに進んでいける社員を育てていきたいと思います。