食で人を健康にする! 「ヘルスケア総合企業」を目指す社長の挑戦【前編】

  • 上場企業の社長に聞く! 夢とお金の本質・ファンデリー 阿部公祐代表 / 阿部 公祐

オフィスに入ると、ずらっと並んだ机で明るく電話応対をする女性たちの声が響く。彼女たちは全員、栄養士か管理栄養士の有資格者。ファンデリーでは、この栄養士たちが食や栄養の相談といったソリューションの担い手だ。健康食の宅配事業と企業向けマーケティング支援事業で成長を続け、2015年に東証マザーズ上場を遂げたファンデリー。阿部公祐代表が栄養士の「想い」に着目し、掲げた食ビジネスの夢とは。

栄養士の「想い」に共感

この部屋に来る途中、女性社員がお客さまからのお電話を受けていたでしょう。彼女たちは全員、栄養士、または管理栄養士の有資格者です。当社は、栄養士と管理栄養士で社員の7割近くを占めます。

なぜ、栄養士、管理栄養士に着目したのか。
当社のメインは、「健康食の宅配」事業。健康上の理由で食事の制限を抱える方に向けて、栄養に配慮した冷凍のお弁当をお届けする事業です。ジャンルは大きくわけて4つで、糖尿病や高血圧、脂質異常症などの方には、カロリーと塩分を抑えた「ヘルシー食」「ヘルシー食多め」、腎臓病や透析を受けている方には「たんぱく質調整食」、また嚥下・咀嚼困難(えんげ・そしゃくこんなん)な方に向けて「ケア食」を用意しています。このメニューを開発するのが、社員の栄養士たちです。

さらに、栄養士はお客さまのカウンセリングも行います。電話でお客さまから血液検査の結果や食事制限数値などを伺い、食や栄養に関するアドバイスをしております。お食事をただ届けるだけでなく、「栄養士がお客さま一人一人に合った」具体的なアドバイスを行うところに、当社の大きな付加価値があります。

このように、栄養士は当社のサービスを担う重要な役割を果たしています。その根幹にあるのが、彼女たちの「想い」です。

10代で栄養士になろうと決めた時点で、彼女たちは、「食を通して人を健康にしたい」という想いを持っています。特に管理栄養士は国家資格ですから、勉強も大変です。それでも、健康や食への関心、体に不安をかかえている方のお役に立ちたいという気持ちがあるからこそ、努力して栄養士になった。その想いを、私は何よりも大事に考えています。

起業家の「目の輝き」に憧れて

事業というのは、まず「想い」がベースにあるべきです。目先の損得勘定や、理屈だけでは、事業は成功しません。動機には、必ず想いや大義が伴わないと、長く続けることができないと思います。

私は大学を卒業後、損害保険会社の社員として、法人営業を担当しました。起業なんて考えたこともない、普通のサラリーマン。会社勤めを続けていくことに、特に疑問をもっていませんでした。

仕事では主な営業先がベンチャー企業だったということもあり、数多くの社長とお話する機会がありました。そしてお話をすると、一介のサラリーマンである私にも、事業の夢や想いを語ってくれました。

多くの起業家の方と会う中で気づいたのですが、何か事を成す人というのは、目の輝きが違う。大きな夢を描き、その夢に向かって全力で生きている。そんな姿を目の当たりにして刺激を受け、徐々に憧れを抱くようになりました。

自分も、こんな風に生きてみたい。人生をかけて、何かを成し遂げたい。
そう想うようになってから、起業するまでにはさほど時間はかかりませんでした。

さて、何をしよう。起業するといっても、私が得意なことといえば水泳とピアノくらいで、特にビジネスで強い専門分野があるわけではありません。ただ、社会インフラを創ることに関心があったこと、歴史に名を残す人々の本を読んで、私利私欲でなく世のため・人のために行動する姿に共感していたことから、漠然と「生活者を応援する事業がしたい」と考えていました。

会社を辞めて、居酒屋でアルバイトをしながら、さまざまなビジネスモデルを検討しました。生活者とかかわりが深く、増え続ける医療費の問題に貢献できそうな「食」の分野はどうかな? と思っていたときに、栄養士の方と話す機会がありました。

話してみると、栄養士の皆さんは栄養管理について専門知識があって、「食で人を幸せにしたい」という強い想いがある。しかしながら仕事は病院や老人保健施設での献立の作成、給食調理がほとんどで、栄養士の能力を活かしきれていないと感じました。もちろん、それも重要な仕事ですが、栄養士が直接お客さまの食生活にアドバイスができれば、もっと多くの方の健康管理に役立つだろうと思ったのです。

そこで私は、「栄養成分がコントロールされた食事を提供する」「栄養士が直接アドバイスをする」という2つの柱でビジネスを考えました。社員1号として採用したのは、栄養士。食や栄養の専門家である栄養士がお客さまとコミュニケーションをとれば、きっとお客さまにも喜んでいただける。このアイデアに夢を膨らませて、私の起業家人生がスタートしました。27歳のことです。

1000万円がみるみるうちになくなった

期待に反して、事業は困難を極めました。ビジネスの着眼点は良かった。しかしいま振り返ると、起業当初のビジネスモデルは脆弱でした。

現在は「疾病」をお持ちのお客さまにフォーカスしていますが、当時はもっと「健康」を広くとらえていました。届けるのは、調理済みのお弁当ではなく、食材とレシピ。栄養士が栄養成分のバランスにこだわった食材とレシピをご自宅にお届けして、同時に栄養相談を行うというのが、最初のビジネスモデルでした。

しかし、食材をお届けするサービスにはすでに競合他社がいて、栄養士のアドバイスをつけるだけでは、サービスとして弱かった。顧客獲得のチャネルが確立されていないうえに、独自性に欠けるサービスだったので、なかなかお客さまを増やすことができませんでした。さらに、栄養士が一軒一軒を配達して回ることが、コスト面で重荷になっていました。

起業したはいいけれど、まったく先が見えない。そのまま3年間、利益が出ない状態が続きました。こつこつお金を貯めて用意した資本金の1000万円は、創業から半年くらいで大半が消えました。まるで、夏の暑い日にアイスクリームが溶けていくように、みるみるうちになくなっていったのです。ここに設立から3期目の決算のノートがあるので、見てください。預金通帳の残高が、なんと数万円。個人の方の預金のほうが、よっぽど多いですよね……。

利益が出ないのは、ビジネスモデルそのものが弱いから。そう気がついて、「どうすれば喜んでいただけるのか」「利益を継続的に生み出すにはどうすれば良いか」と、ひたすら考える日が続きました。苦しかったですが、幸い仕事がなかったので、考える時間だけはたっぷりありました(笑)。

創業当時、会社の規模は小さく、オフィスはいつもシーンとしていました。ですから、お客さまからのお叱りの電話すら、うれしかった。もちろん、ふつうに考えればお叱りを受けるのは良いことではありません。それでも、お客さまが当社のことを見て、期待しているからこそのお叱りの声だと、ありがたい気持ちで受け止めていました。

悩み抜き、考え抜きながらビジネスモデルを転換した話は、次回お話しましょう。いま思うと、あのときの「どん底」がないと、当社の強みは生まれなかった。しかし20代の私にとって、それは自分の存在意義さえ疑う、ひたすら苦しい時期でした。