第6回 印象派の元祖? 西洋に影響を与えた日本のアート

今回からは日本美術を見ていきます。アートは人の嗜好、生活の習慣、考え方と深く関わっています。美術史の流れをひと通り知っておくことは、今を生きるわたしたちにとって必須の教養。ややこしい時代区分や難しい用語は抜きにしますので、ぜひ全体像をつかんでおきましょう。
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日本美術のピークはどこにある?

西洋美術史におけるピークは印象派である、これまでの回でそうご紹介しました。外界を「見えるがまま」に描きたいという、幾多の画家が追い求めた写実の夢を極めたのが、印象派だったからです。

では、日本美術のピークはどこにあるか。いろいろな考え方がありましょうが、ここではひとりの絵師の存在を頂点とみなしたい。その名は、葛飾北斎です。
18世紀後半から19世紀前半、つまりは江戸時代の後期に生きたのが葛飾北斎です。当時隆盛だった浮世絵版画の世界に長く身を置き、いまに残る傑作をたくさん残しました。最もよく知られているのは、「冨嶽三十六景」でしょうか。

大波の向こうにぽつりと富士の山容が見える《神奈川沖浪裏》や、朝焼けに染まる富士山が画面に鎮座する《凱風快晴》は、このシリーズに収められています。これらを目にしたこと、きっとありますよね。
誰もが知っているイメージをいくつも生み出した。それだけでじゅうぶんにすごいことですが、くわえて北斎の作品には日本美術の特質がぎゅっと詰まっている。彼の絵こそ日本美術のピークと断言したくなる所以は、そこにあります。

北斎のなにがすごいのか

では北斎の美点とは、どんなところなのでしょうか。
まずは何といっても、画力が群を抜いています。事物を描写する手技は、あらゆる日本美術の作者を見渡しても、いえ西洋美術の画家たちを含めてもナンバーワンといえましょう。とくに、人物や動物の動きを瞬時に捉え絵に留めてしまう業は、他の追随を許しません。
躍動感やモノの性質を表すために北斎が心を砕いたのは、線の描き方です。一本の線の太さ細さ、勢いや滲み具合によって、あらゆるモノを描き分けています。
そもそも、墨を毛筆につけて描くことを基本とする日本美術では、描線こそが命。油彩や水彩で色を塗っていくことを作画の中心に置き、基本的にモノの輪郭線を描く習慣のなかった西洋絵画とは、線を重視する度合いが明らかに違うのです。

北斎の代表的イメージをいま一度、持ち出してみます。

《神奈川沖浪裏》の画面に迫力を生み出しているのは、まるで生きものみたいにうねり高ぶる海の波です。これは力感あふれるたくましい線で縁取られていますね。
対照的に、遠景にぽつり置かれた富士山は、硬くて落ち着いた線で描かれます。手前の「動」と奥の「静」。両者の対比が描線の質によって強調されているわけです。

構図の大胆さも北斎の持ち味です。実際にそう見えるかどうかなどに頓着せず、画面におもしろい効果をもたらすことができると踏めば、モノのかたちを平気で歪めるし、遠近感も自在に変えてしまう。とことん自由です。
「冨嶽三十六景」は房総から名古屋までの富士が見える光景を描いていますが、各所から富士山が見える大きさなんて、まったく適当です。北斎の画面上では、あらゆるものが構成上の要求に合わせて変形されていくのでした。

描くモチーフが森羅万象(しんらばんしょう)にわたるのも、突出している点です。見たものに正確なかたちを与えることのできた北斎は、目に映るものを片っ端から描いて飽きませんでした。彼はその名も「北斎漫画」と称する画譜を刊行しており、これには人物のさまざまな表情やポーズ、あらゆる動物、植物、小さい虫までが精細に描かれ載っています。

北斎にとっては富士山だろうとバッタ1匹でも、描く対象としての興味深さに何ら変わりがなかったのでしょう。とるにたらないものなど、この世にひとつもないと言わんばかり。彼の画業は、どんなものにも生命が宿っていてその価値は等価であるという、日本に古来伝わるアニミズムの思想に貫かれているともいえます。

北斎が西洋美術に与えたインパクト

葛飾北斎の作品に見られる、線の表現の豊かさ。外界を大胆にデザイン化してしまう構図の妙。何気ない生活風景にも目を留める親密な視線。自然の細部まで愛するアニミズム。これらはそのまま、日本美術をはっきり特徴づける要素になっています。北斎とは、まこと日本の美を代表するにふさわしい存在です。

日本代表としてというわけでもないでしょうが、北斎は海外での評価がまた非常に高い。国内よりもむしろ、国外からの称賛のほうが多いくらいです。
世界の美術史を通覧する際、北斎はよく名が挙げられます。レオナルド・ダ・ヴィンチのような巨匠と並び称されることもしばしば。控えめな見解が示されるときでも、19世紀における世界最高の画家のひとりであるのは確実とされます。

後世へ与えた影響もまた巨大です。印象派以降の西洋画家で、北斎の影響を受けなかった者がいるだろうかというほどに。
19世紀の後半、西洋では「ジャポニスム」と呼ばれる現象が沸き起こりました。鎖国を終えた日本から多くの文物が伝わると、これまで想像もしなかった美の基準があることに西洋人は驚嘆したのです。

日本の文物で多かったのは浮世絵でした。これに強く反応したのは、新しい美を探し求めていた芸術家たち。19世紀後半ということは、そう、この連載で先に見た印象派の画家たちですよ。
モネ、ルノワール、ドガ、ピサロ、カサット……。伝統的な西洋美術の流儀を打破せんとしていた彼らは、日本美術からの刺激を大いに糧としました。印象派の系譜を継ぐゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、ボナールらも、ことごとくジャポニスムの影響を受けました。とりわけ北斎は絶賛を受けます。

ゴッホは自らの絵の背景に浮世絵を描いた

葛飾北斎に代表される日本美術の流儀が、彼らの目にはとにかく斬新に映ったのですね。西洋美術がルネサンス期に編み出し洗練させてきた遠近法や陰影法を完全に無視した自在な構図。日常の些事を平気でモチーフにするテーマの自由さ。油彩画ではまず実現できない独特の色使い。どれも西洋の伝統に浸かったままでは、まず思いつけないものばかりでした。

日本美術の斬新さを、印象派の面々は積極的に創作へと取り入れます。光をたっぷり画面に招き入れ、自身の印象に従って身近なモチーフを描く。印象派のそんな特長は、日本美術との出逢いなくしては確立されなかったことでしょう。
ということは、です。日本美術のピークたる葛飾北斎は、西洋美術のピークといえる印象派の祖でもある。世界の美術史を見渡しても傑出した存在である葛飾北斎とその作品のこと、わたしたちはもっと、もっと誇りに思い心に留めるべきでしょう。

<今回のまとめ>
●日本美術のピークは浮世絵であり、葛飾北斎は多数の傑作を残した
●北斎は、圧倒的な画力と大胆な構図、独自の色使いで他を圧倒した
●そもそも印象派が生まれたのは北斎らの浮世絵が西洋に伝わったことがきっかけ